知は権力?!

人生の幅を広げるには、人と会うこと。旅をすること。本を読むこと。

2年間、毎日アップし続けてきた書評ブログですが、しばらくの間だけお休みしようと思います。時間をかけて概要まとめてアップしてますが、結構手間なわりにあまりアクセスもなく。。。残念。。。

また、個人的には一般的の意見とは異なった意見が面白いと思ってアップしてるんですが、結構バッシングを受けます。。。日本人は、先入観があったり、疑わずに信じやすい人種と言われていますが、インターネットや周りの人から得られる情報だけ信じると知識も視野も狭くなってしまうかと。私も注意していますが自分に都合がいい情報だけを信じて反対意見をよく調べないと情報に流されるかと思います。最後の判断は、自分で考える力が必要ですね。そのためにもインターネットではなく、いろんな思考の本を読むことは良いことかと思います。インターネットだと人に好かれる情報だけ上位に出て来て、人が嫌がる意見は検索にひっからなかったりしますからねー。

とりあえず毎日中毒のように本を読んでいる時間をちょっと自分プロジェクトの時間に使うことに。本を読むのってどうしてやめらないですねー。ちょっとだけ本を読むのを休憩するので、また何か面白い本があったらアップしますね。最後は一年以上前に自分が書いた本の概要です!

「1億円稼ぐ米国サラリーマンの株式投資戦略」

近年、日本でもアメリカでも共働きの家族が増えています。生活するために必要なお金が増えてきました。残業をしないと生活費が稼げない時代になり、働きすぎて体を壊す人も出てきています。バブルも崩壊し、親の世代よりも生活水準が低くなっているように思えます。バブル世代の人たちは、行動経済成長の真っただなかでしたから、まじめに働けばなんとなるとしかアドバイスできないでしょう。投資などの知識がなくても働いていれば安定した生活が過ごせたのです。しかし、現代においては、まじめに働いても親と同じ生活水準を保つことはできません。少子化のため、今の子供が大きくなる頃には、もっと厳しい社会になるでしょう。経済がバブル前ほど上向きになっていないのですから当たり前です。

しかし、戦後の時代は、お金がなくても幸せだったという人もいます。いつも家族と一緒で、他の家族とも助け合い、思いやりの時代でした。貧困しか知らない世代は、単に貧困だからと言って自殺しません。バブルが崩壊してくれてよかった、お金がない日本の方が人は助け合って幸せになれるのではないかということです。お金があってもなくても幸せな生活は過ごせます。お金は考え方、使い方次第で幸せにも不幸にもなりえます。

日本は、貧困層は増えたとしても、戦後から飢えて亡くなる人はほぼいなくなり、発展途上国と比べてみても豊かな国だと言われています。食べていくだけで必死だった昔とは違い、健康志向の高まりから、健康本、食べ物本なども流行る余裕があります。一方、自分は不幸だと感じている人が多くいるのも事実です。ベストセラー本も、昔にはあまり目にすることがなかった自己啓発、幸福論などで「幸せとは何か」というテーマで、多くの日本人が「自分の幸せ」を追い求めている気がします。アテネの芸術品も経済が豊かな時代に、食べていくのに困る人が少なかったため、多くの芸術品が生まれたという話を聞いた事もあります。食べ物に困らない生活ができると、「人はどう生きるというべきか」という幸せな悩みが出てくるのです。はたして「自分の幸せ」とはそんなに大事なものなのでしょうか。幸せを追求して、良い方向へ行く人もいれば、幸せとは何かを追求しすぎて、逆に悪い方向へ行ってしまう事もあるかもしれません。本当は「幸せ」とは何かという悩みがないことが「幸せ」なのかもしれません。子供達を見てるとそう思います。私も今見ている子供達のように人生を生きてみたいものです。

アメリカでは、お金持ち約500人程度でアメリカ国民半分の所得を得ているというデーターもあります。お金がある一部の人だけに集まり、一般人のところへは回らないとう格差社会になっているのです。人類は、上の者だけが多くの情報を知っていて、一般の人には教えないという権力構造で発展してきました。西洋の王宮でも、国家でも、上のものだけがお金儲けや利益のための情報を握り、民には従わせておけばいいという考え方です。マヤ文明においても上のものだけは暦を読め、暦の読み方を知らない下のものは、季節を予測できる上の人を神と崇めてきたと言われています。もし一般の人でも投資の知識を得ることで利益をあげることができれば、もっと時間に余裕を持った生活ができるかもしれません。共働きもしなくてもいいかもしれません。左遷を恐れずに、会社の議論でも自分の意見を強く言うことができるかもしれません。解雇を恐れず、残業をしないで家に帰る勇気が持てるかもしれません。働きすぎて、家族や子供と一緒に過ごせない。働きすぎの人生になっていないでしょうか。

極論をいえば、株式市場など必要のない世界が最も良いことかもしれません。世の中には、事前に空売りを仕込んで、あえてテロなどの事件を起こして株価が下がるところで利益を儲ける人もいるでしょう。空売りを仕込んで、企業の悪い噂や企業の事故をあえて起こす人もいるでしょう。市場管理者たちも常に監視をしていますが、実際のところ全てを把握することは難しいかもしれません。携帯電話でさえ、犯行に使われます。農業のための鍬でさえ、武器となります。株式市場でもどんなものでも世の中の物は、使い方次第で良くも悪くもなります。株式市場がなくなっても、人間はまた似たようなものを作り出すでしょう。人間に欲というものがある限り、株式市場はなくなりません。人間に欲がある限り、お金儲けの仕組みは、世に生み出されていきます。人間に欲をなくせということは無理かもしれません。どんな人でも欲があるから、食べ物を食べたくなります。人を幸せにしてあげようという気持ちも、もしかしたら欲とも言えるのではないでしょうか。生きる活力には欲は必要です。しかし、自分の欲のために、人を傷つけてまでお金を得ようとしてはいけません。

あなたが利益を上げたことに関して、誰かが損をしていると考えるのではなく、お金持ちの人からお金を分けて頂き、そのお金持ちの人ができないことをしてあげると考えるのです。人からお金を奪い取るという考えではなく、お金持ちからお金を分けてもらって身近な人の幸せのために使ってはいかがでしょうか。

皆さんがお金持ちになることができたら、世の中で困っている人を一人でも多く助けて上げてください。世の中には、どこかで泣いている人がいます。人間社会は不平等で成り立っています。生まれもって障害をもってしまった子供、震災で亡くなってしまった子供達が何か悪いことをしましたでしょうか。悪いことをしたからといって、悪いことが起きたわけでありません。人は生きているだけでもとても幸せな状況にいます。人生を楽しもうという気持ちがあればいつでも逆転できるチャンスがあります。

株式市場でも、今後どんな仕組みが生まれてきても、利益を得たら人助けをするという重要なことを忘れてはいけません。多くの人が人助けをするという気持ちになれば世の中は良い方向へと徐々に変わっていきます。貧しい人達はお金を稼ぐ手段も知りません。とても幸せな状況にいるあなたの力を必要としている人達が世の中にはたくさんいるのです。

人は誰しも生まれてきてから使命を持っています。これが使命だと思えるものが一度は訪れると言われています。使命とは自分がやってきた方向とは違う方向を指し示します。会社員として一生を終わることだけが人生ではありません。他人が期待する人生を生きてしまったことを後悔してしまうかもしれません。人のために貢献できる使命が訪れた時に、それを選ぶことができるでしょうか。

私はこの本を通して、少しでも多くの方が投資で不労所得を得て、まずは家族との時間をもっとゆっくりと過ごせるようになってほしいと思い出筆しました。まずは身近な家族を幸せにしてあげてください。仕事ばかりではなく、家族との時間を多く過ごす余裕ができたら、次は、貧しい人達を助けて下さい。エゴや見栄を貼って無駄遣いをしてはいけません。戦後は何も物がなくても幸せに過ごせたのです。娯楽が繁栄した現代に惑わされてはいけません。人と幸せ比べをしてはいけません。日本人としての「和」を大切に人助けをしてください。人間が人間らしく生きていける、そんな豊かな世の中になればと心から願っています。


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私は学生の頃、桜井章一さんの漫画も全巻買って読んだり、ドラマも見ましたね。リスクを恐れず、相場師として生き抜く、男のロマンですね。

「「強さ」の奥義」

洋服屋に入ったら見るからにヤクザって野郎が店の奥に座ってコーヒーすすっていたよ。みんなはどうするよ、こういう場面。近づかないようにしようとか、強くなって逃げるんじゃねえのか。俺は、逃げない。近くに座ってやる。すると向こうはこう考える。普通は不安がって避けて逃げようとするのに、こいつ不安がね、何者だと逆に不安を持つ。だからそいつ、コーヒー半分残して帰って行った。俺は不安とか怖さ、トラブルってものが好きなんだ。皆さんは、そういう場面だと逃げるでしょう。だけど俺はトラブルに飛び込んで行くからね。何事にも俺は一体感を求める。相手が自然であれ、ヤクザであれ、一体化して自分から入り込みひたっちゃうんだよ。子供と遊ぶ時にも、子供と一体感を求めてひたっちゃう。ところが、みんなひたれないだろう。子供の方が大人と遊ぶことに飽きちゃう。

同じ信頼でも他人に信じられたいっていう信頼が多いだろう。これじゃだめだ。他人によく見せようとか、他人の前だけ頑張ろうとか、そうやって得ようとする信頼は何の意味もない。人に見せかけるために着飾っても自信は生まれないぜ。そんなのは会社とか仕事とかいう洋服を脱いだら自信がなくなるだろうよ。他人の力、他人の金、人の愛を期待して生きているやつに自信がモテるはずがねえだろう。人に依存している限り、その人がいなくなったら、どうするよ。人間は一人じゃ生きていけないよな。ふれあいが大切。ただし、勘違いするな。人と触れ合うことと、人を利用するってことは全く意味が違うこと。今の社会は、人や何かを利用したりたかったりする関係で成り立っているだろう。金の切れ目が縁の切れ目、だから互いに不安で、互いに自信がもてねえじゃないか。

男女の関係においても同じだろう。裏切りなんて考える奴は、人の愛にぶらさがっていただけだろうよ。余裕のあるやつには人が自然と集まってくるって。

常に厳しさを自ら選択していくことでしか、自身は生まれない。二つの道があるとすれば、常に厳しさを求めろ。甘いものばかりを選択するものは、やはり依存的体質だろうよ。

大事なのは、柔軟性だ。人との約束については俺は徹底的に守る。だからこそ、普段は自由にしているんだよ。人との約束を破るやつほど、硬い規則で自分を縛る。自分は12時に寝るから、組らとは突きあえなんて平然としている。本当の自身のあるところには、必ず柔軟せがあるものだ。

人に優しく、思いやりを持て、感情を豊かにしろ、これはみんな子供の頃に教わった単純な基本だ。それを大切にしているやつには、”自然な自信”というものが身についているね。

登山家のラインホルト ヘスナーは8000メートルの山を無酸素で登ってしまうという超人。ロッククライミングの時すら彼らは最低限の道具しか使わず、命綱ロープスラ持たないというだ。本当の意味での命がけというんだよ。実は、我々も彼らと同じ能力は持っているはずだよね。それができないのはなぜか。便利さに埋もれているからだろうな。車という便利なものに頼れば足腰が弱くなるように人工的なものに頼りすぎて本来持っていた能力を失っちゃったわけだ。

やることやって貧乏であることが最高にかっこいい生き方だってこと

勝たずとも男を立てるという考え方だ。俺が10人に喧嘩するじゃねか。10人の悪党が一人の弱い奴をいじめているという場に遭遇したら、俺は勝とうが負けようが、ボコボコに殴られ、骨をおられ、血みどろになっても俺は戦いに臨んでいくよ。負けるに決まってるよ。損か得かを考えれば、明らかにそんだ。それでも俺が戦うのは、「男が立つ」という一点にこだわるからだ。生きていく上での大事な「男」を守るために俺は戦うのよ。男の強さとは、損得の計算、合理的な考えを捨て、どれだけ「小」に分け与えることができるかということに尽きる。

俺は雀鬼会にやってくる若い衆、弱った子たちを絶対に見捨てない。「小」を見捨てないことが「愛」であり、「大」に振り向くのは「欲」ってんだろう。

女房、子供のこと、若い彼女のこと、親、友達、すべての人間関係を含めて考えることが”愛”なんだ。一方”恋”というのは好き嫌い。身勝手なんもさ。

俺は麻雀で金という欲を満足し、女性で色ごとも叶えることができたのだから、男冥利に尽きるよね。で、あんたもそうなりたんだろう。ところがよ、そうは問屋がおろさないぜ。

男を磨けば根性だけじゃねえよ。男の色気も出てくるし、包容力、優しさ、上司だけじゃなく女の子が喜ぶものもいっぱいついてくるぜ。

女性が母親だけ、あるいはキャリアウーマンだけの役割しかなかったら、色気のない釈迦になるね。そして今の時代、女っぽい色気のある女性が少なくなったように、男っぽい香りを発する男もいなくなった。それが少子化現象、高齢化社会の原因の一つだね。

男の価値は強さになる。獲物を狩るだけの強さ、勇気、根気が必要。頭がいい、金がある、大企業に勤めているという価値観だけでオスを選択したら、いかに医療が発達しても精神の歪んだ弱い人間がはびこってしまうわけだ。

損得計算にたけた生活をしていると、人のことでわざわざ出向くのはそんだと考えるじゃねえのかい。リスクを極力避けて通るような生き様だよな。最近、こういう輩が多いだろう。自分が明らかに損をするだろうと思われることについては、絶対に手を出さない。だけど、儲かる話ならどんな努力も苦労もいとわないてな輩だよ。リスクを避ける生活に慣れてしまうと、病につながるぜ。損することがわかっていてもやらなきゃいけないと走り回る人間には、お互い様よ、という感情が生まれ、そこから義理、人情という熱い男として認められるわけだろう。俺たちの世代にはまだそういう感覚があったね。

損得勘定ばかりやっているバカ親がいる。この子を育てて塾に通わせて良い学校へ入学してもらい、大企業で出世させて、楽させてもらうとかよ、計算するするじゃねえか。その瞬間から愛がなくなってしまうわ。その結果、子供は愛に飢え、勇気を持てずに大人になり、リスクを避けて通るやつになっちまうんだ。

リスクを追うということは、自分のほうとうの姿を知るってことになるんだぜ。大事なことは痛みをするってことだ。自分の強さを知れば相手の痛みだって想像もつき理解できる。それが本当の強さを持った優しさに繋がっていく。だからリスクは買ってでも背負えってわけだ。

自然の中にある本能の世界とは、それほど厳しさの中にあるってことを、今の男忘れてしまっているね。自然に近づくことでしか、本能は蘇らせることはできないぜ。ところが、現代人は逆に自然から離れようとしているだろう。例えば、長生き、健康、何もかもよりよくなろうと考えているじゃねえか。これはね、薬と一緒で必ず副作用が起きるし、後遺症が残る。

今や結婚でも恋愛でも相手が財産もちか、と考えてやるから間違え、離婚がやたらに多くなるのは当たり前だ。愛なんてのは、感じることだろう。考えるもんじゃねえっての。だから考えるな、感じろと指導しているんだ。楽しみながら感性を磨いていけば、お互い位に関心を持てるし、愛を持って人と付き合うことができる。

そこらへんに落ちている気に入った石ころやら木の枝なんか思いつくままにポケットに突っ込む。自然のエネルギーをもらうんだよ。長い時間人間に触れず、風邪や水、純粋な自然の中にあったものには、自然のエネルギーとリズムが宿っているからね。人が作ったお守りなんか持たない。少しでも自然のものを身につけることで、感覚も研ぎ澄まされ直感がさえる。

人口のもの中の生活では、鋭感な直観力も、流れを味方にする自然のリズムも身につかないぜ。当然勝負に強くなることなんかできないと断言するよ。人間が作ったものはみんなダメかって?そんなことはない。大量生産で生み出された商品には魂は宿っていなが、一人前の職人さんが作ったもの、器だとか角田とか、そういうものは確かに魂が込められた代物だった。ものと人、ものと心がしっかりと繋がっていたよ。

本当に強い人には寄ってくるんだよ。安心なんだ。動物だって人間だって。そうだろう。

男は一歩外に出れば7人の敵がいるというじゃねえか。ってことは1日に7個は自分にとって嫌だなと思えることが起こる。そこを逃げずに勝負してみろよ。そうすれば強くなれるに決まっている。嫌なことから逃げちゃ、強い男にはなれないよ。

日本よりはるかに貧しい国へ行くとしっかり生活している人々と出会うはずだ。朝起きた時から生活をしなければならないということを肌身で感じるはずだよ。日本には生活感が全くないだろう。君の場合は特に生きるというより生かされている生活をしているに過ぎないんじゃないの?

男なのに男を感じさせないやつ、女なのに女らしい女を最近見ないよ。一応は生活はしていても本当に生きて活動している生活感のある人間がいない。

世間が売り込むと行ったのは、やれダイエットだ、やれ健康食品だ、栄養剤だ、人間ドックだと脅迫的に押し寄せてくるからさ。あれをいちいち気にしてたら、本当に病気になっちまうよ。不安を煽って金儲けをするのが健康産業、宗教産業、保険屋、いずれも文明のあだ花だろうな。それに比べると「おふくろの味」というのはあったかいんだよね。だから同じ食べ物でも気持ちのこもっているものを食べろということだよ。

一流有名大学を出た上層部のエリートと言われる連中は、今の世の中生き残るために悪党の手段を用いる。それが常識になり、ズル賢い手段をとる人間が高いと評価するのが、君らの生きる世界なんだよ。仕事ができるなんていうやつは、「俺は悪党だよ」と言っているようなもんだし、大企業の看板やらブランドも、「悪党企業ですよ」と世間に言っているようなもんだ。正当な仕事はそんなに稼げないものだ。

約束の守れる正直な男になれ。それが人間社会のおきてだよ。


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ビートたけしさんの本です。たけし軍団の間抜け事件、コント、漫才、テレビタックルでの討論や、映画に関して詳しく分析して解説してくれているので、お笑いを目指す人は読むべき本かと。そうでない人でも楽しい本だと思います。またビートたけしさんっぽい、夜のお姉ちゃんネタや下ネタトークなどもあり、ここでは書けませんが、お笑いネタに興味がある人は一読してみてはいかがでしょうか。


「間抜けの構造」
間抜けとは「間の悪いやつ」のこと。間というものをコントロールできるのか、人生いかに間を活かすかを考えたい。

政治家がこんなに間抜けな発言をするのかというと、自分がどういう立場にいる人間化がわかっていないからだ。自分を客観視する能力がないからこういうことになる。


空気が読めないなんて言葉が流行ってるけど、「言わなきゃいいことを、言っちゃうやつ」というのはたいてい間抜けだから。「そういう状況のときは、黙ってありがたく従う」というお約束が守れない。


芸能レポーターも間抜けが多い。現場で張り込んでいるレポーターが、車に乗り込んで立ち去ろうとしている渦中の芸能人に向かって大声で叫ぶ。「○○さんとの関係はどうなんですか!」そんなことを運転しているやつに言っても答えるわけがない。大体、声が届いていない。車を止めてグーと窓を開けて、「えー、彼女と関係は。。。」って言うわけないだろう。「愛はまだ続いているんですか!」「なぜ二股をかけたんですか!塩谷さん!」知ったこっちゃないよ!「男女の関係はあったんですか?」という質問も間抜けだな。「男女の関係」ってなんだよ。「やったかやらないか」って素直に聞けよ、ばかやろう。

覚せい剤で捕まった若い俳優に、レポーターが「奥さんはどう思ってるんですか?」って、これも答えるわけない。奥さんに直接ききなさい。警察の車で運ばれる俳優に「奥さんの気持ちをひとこと」って言っても、わざわざ出てきて「えー、かみさんの心境を代弁すると、、」なんて言うはずないんだから。

名乗るだけで笑いをとれるなんて、なかなかそんなチャンスはないよ。芸能人の離婚会見で、「「漫画エロトピア」の北野でと申します。夫婦間の夜の営みは、、、」とやれば、場内爆笑まちがえなしなんだけどな。

コントというのは、こういう間抜けな状況を意図的に作るという事。

軍団の間抜け話はきりがない。あいつらみたいに間抜けなことばかりしていたら、一般企業だったらとっくにクビになってるよ。でもお笑いは、そうした社会とは違う世界だから。向こうの常識はこちらの非常識であって、向こうの非常識はこっちの常識。一般企業に合致するようなことばかりしていたら、それこそお笑いの世界では通用しない。

実践をやらないやつは一切ダメ。これは芸でもスポーツでもなんでも共通することだけどね。


ニュースだけでなくて、いつからかお笑い番組にもテロップがいっぱい出るようになった。「ここは笑うところですよ」って教えてやっているつもりなのか。文字で確認してからじゃないと笑えない。そんな時代になっているんだろうけど、そうだとしたら、今の人は相当頭が悪いね。テレビからどんどん間がなくなっちゃっているから、その代わりにラジオというのはもっと評価されていいメディアだと思う。

討論のときにどこで話に入っていくかというのは、縄跳びに入っていくタイミングを見極めるのと同じで、それが上手い人と下手な人がはっきり分かれる。「最後に一つだけ言わせて」というやつも嫌われる。そう言うやつに限って、一つで終わった試しがない。

歌舞伎町のホストも間を空けない。じゃんじゃん話をして、間を埋めていって、気持ちよくさせて何十万円もするシャンパンとか注文させるのが基本だからね。

今の日本の若い人とか、これから日本に生まれてくる人は大変だよ。バブルが弾けてからいっこうに景気がよくならないし、これから上向きになるとも思えない。人口もどんどん減ってくるし、国力も今の状態を保てるかあやしい。だから、生まれた”間”が悪かった、ということはあるんだよ。才能と実力もあるけど、最後まで時代との相性が悪くて、世に出ることができなかった、なんていう人はどの分野でもざらにいる。あらゆる業者というか職種に波みたいなものはあって、その時代にその分野にいるかどうかというのは運でもあるし、”間”がいいかどうかが試される。

落ちこぼれでもいいから、人と違う事をしようと思った。役者と乞食じゃないけど、芸人も一度やったらやめられない。客を笑わせるというのは、麻薬みたいなところがあるんだ。

ほんのわずかな人間しか、古代ギリシャや何百年前の問題を解けない。一握りの天才や芸術家が世の中を引っ張ってきただけなんだ。その他の大勢の人間は、それに乗って生活しているだけ。そのことを忘れないほうがいいと思う。マッチ一個、釘一本自分でつくれやしない。天変地異が襲ったら、一瞬で終わっちゃおう。そういう危うい土台の上に、我々は立っているということを忘れちゃいけないよ。

本当は人生の”間”があったほうが豊かになるのに。みんな履歴書に空欄をつくらないように、人生の”間”を必死で埋めようとしている。もう一回”間”というものを見直して、生き方を考えてもいいんじゃないのかと思うけどね。そんなところが結論なんじゃないかな。間延びしないうちに、この辺で終わりとするか。

間抜けの構造 (新潮新書)

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