確かに人の上に立つものには才覚よりも人格ですね。

「生き方」

経営の才に富んだ人たちの行為で、なぜとクビをひねりたくもなりますが、古来「才子、才に倒れる」といわれるとおり、才覚にあふれた人はついそれを過信して、あらぬ方向へと進みがちなものです。そういう人は、たとえその才を活かし一度は成功しても、才覚だけに頼ることで失敗への道を歩むことになります。

知っているだけではダメ、貫いてこそ意味がある。

私たちはいくつになっても夢を語り、明るい未来の姿を描ける人間でありたいものです。夢を描けない人には創造や成功がもたらされることはありませんし、人間的な成長もありません。

あきらめずやり通せば、成功しかありえない。
大手が断った高度な技術水準の仕事を、私たちができるあてはない。それでも私はできませんとは絶対にいわない。できるかもしれませんとあいまないことも口にしない。勇気をもって「できます」と断言して、その難しい仕事を引き受けてくるのです。

京都のちっぽけなメーカーの、名もない一研究員が、生徒空拳のまま行ったことが、世界のGEに匹敵する成果を上げた。まぐれ当たりとしかいいようのない幸運ななりゆきでした。

寝ても覚めても強烈に思い続けることが大切
新しいアイディアで幹部を集めて意見を求める。彼らのいうことにも一理あり、その分析も鋭いものなのですが、だからといってできない理由ばかりをあげつらっていたのでは、どんないいアイデアも冷水を浴びせたようにしぼんでしまい、できることもできなくなってしまいます。

「好き」こそが最大のモチベーションであり、意欲も努力も、ひいては成功への道筋も、みんな「好き」こそが最大のモチベーションであり、「好き」であることがその母体になるということです。

このごろの日本人が失ってしまった美徳の一つに「謙虚さ」があるでしょう。生きて行くのに、俺が、私がという自己主張が必要なこともわかりますが、私たちがいま、謙虚さに代表される「美しい心」を忘れつつあるのは、この国の社会にとって大きな損失です。そのことがこの国を住みにくくしている要因の一つであるように思えるのは私だけではないはずです。

「福利厚生もしっかりしていないし、待遇もよくない」それに対して私は、「十分な福利厚生もある企業にしていくのは、これからの君たちの働きいかんだ。してもらうのではなく、自分で作り上げるのだ」と叱りつけました。他人から「してもらう」立場でいる人間は、足りないことばかりが目につき、不平不満ばかりを口にする。しかし、社会人になったら、「してあげる」側に立って、周囲に貢献していかなくてはならない。

生きていれば、苦労は必ずあるものです。

人の上に立つものには才覚よりも人格が問われるのです。
 

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