死を感じている人をほど、やりたいことをすぐにやれる行動力がある気がします。ぜひ見習いたいところです。

「死ぬな」

私は先天性脊髄分裂症という障害を持って生まれました。出産に立ち会った意識は約二週間のうちに私は死ぬだろうと判断し、名前をつける必要はないと言ったそうです。しかし、二週間生きてしまったので、親が慌てて祖父から一時もらってつけたのが私の名前です。一歳になると、親や周囲の人は口々に「来年の誕生日には、この子はいないだろうね」と漏らしたそうです。3歳になれば、「小学校には上がれないだろうね」小学校に上がれば「中学校は無理だろう」中学になると「さすがに高校生にはなれないよ」と、私に聞こえないところで囁いていたと言います。35歳以降は5回の癌を経験していますから、今度は面と向かって医師に死を宣告されました。それも何度もです。「来年までに生きられるかどうか」といわれ続けた私は、周囲の予想に反して成人し、事業家となり、60歳になった今もこうし
て、元気に生き続けています。

肉体がいつかは消滅する以上、「したいと思うことがなんでもできる」状態は、非常に限られた間にしか人に与えられていないのです。努力ではなく、体がノーを発するまでは、生き続ける。ただそのことだけで、人生は変わるのだという事実を、私はもっと多くの人に知ってほしいと思っています。系ない悲しみを抱いたり、「死にたい」と思うほど絶望的な状況に置かれても、「ただ生きている」だけで、人生には次々と何かが起きてくるものです。

実は、事業でもうけたお金を個人資産としてより多く持っているのは、上場企業の社長ではなく、中小企業のオーナー社長たちの方です。というのは、前者は多くが雇われ社長、つまりサラリーマンがほとんどで、個人資産という点では限界があるからです。ではオーナー社長たちは、どうやって資産を得たのでしょうか。

「いつどこで、誰にお世話になるかわからない」という思いが実感としてあります。生きてくには人様の力が大切であること、逆に言うと、自分にないものは人様からお借りして良いのだという気持ちが、自然に備わってしまったのです。そういうところから、関わる人全てにあらかじめ気を使うという習性が、私には幼い頃から身についていました。

できないことは「できない」、わからないことは「わからない」と早く行った方が勝ち。

地震の仕事で得られた利益を、やはり何かしらの形で将来、未来に生かしたいのです。まだまだ死ねません。
死ぬな: 生きていれば何とかなる (新潮新書 587)


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