「貧しい人のことを考えて行動しよう」と言われてもわかったつもりになっていてるだけで、実際に貧しくなった経験がとないと人間ってわからないのかもしれませんね。

「私の幸福論」
同じ状況でも人によって、その感覚をもてる人ともてない人とががる。素朴な生活や貧しさや戦いの中でも幸福感はみたしてれる。文明は平和の恩寵に長く浴している人々では自分が幸福だと感じるハードルが高くなり幸福感は鈍くなる。

自分を大切にするということは自分をきずつけないように引き出しの奥に大事にしまっておくことだと勘違いしているのかもしれません。自分を大切にするとは、もてるものをあますことなく最大限につかいこなすことをいうのです。

新しい自分を切り開いて行くことに、私たちはもっと貪欲であっていいと思うのです。時には幼い子供達に習って、理屈ではなく全身を投げ出す勇気を奮い起こしてはどうでしょう。頭で考えれば滑稽だったりしても、子供達のようにひとまず信じてみるのもいいかもしれません。余分な知恵を長いあいだに身につけて、人生に対して慎重さばかりを求めるようにになったころにはなおさらです。

戦後、豊かさに向かってひたすら走ってきたのです。戦争で失ったものを豊かさがきっと穴埋めしてくれるだろう、これで平和になれると私たちは思ったのです。けれども走り続けるうちに、心の豊かさよりもモノの豊かさの方を求める気持ちが強くなっていました。モノが豊かになれば、心穏やかにそして豊かに生きていけるような気がしていたのかもしれません。ところが今になって、豊かさを手に入れること引き換えに取りこぼしてしまったこと、あるいは失ってしまったことがこんなにもたくさんあったのかと私たちは、愕然としています。

私たちふだんの日々のなかにも、書物を読み、人の話を聞いてわかったと思っていたものが、じつはわかったつもりになっていただけであったと、実際に体験をしてから気づことがあります。体験して獲得したもののほうが、頭での理解よりもよほどゆるぎないものだろうと私は思うのです。

延命治療というのは、いのちをただ引き延ばしているだけであって、その人にとってつねにもっとも大事な「生きる」ということに目を向けていません。そのために、いのちの質を著しく損なう暴力となることもあるのです。
愛する人達に「ありがとう」を伝えて旅立てるならば、それ以上に望むことはありません。「生まれてきてよかった」と心を込めていえるように、私は生きているかぎり、この一瞬一瞬を存分に味わうことに力を出し惜しみしない覚悟でいます。


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