エピソードなどもたくさんあり、女性には面白い本かと思います。美人に対する世の男性の行動を把握しており、美人とは何かを考えさせらる本です。

「美人とは何か」
内面の醜さが美人をブスに転落させるのであれば、内面の美しさによってブスから美人に成り上がるケースもあるのだろうか。残念ながら、「ノー」である。
女はバービー人形に憧れてきて、バービー人形のような、前に突き出した胸とくびれたウエスト、小さなお尻、細くて長い手足のような女になりたいと思う。吉川ひなのが例。しかし、男達から絶大な支持を集めるかと言ったら微妙である。男達は、肉感的なタイプを支持するだろう。
女に生まれてきたからには男にモテたい。しかし、男からジロジロと無遠慮な眼差しを送られたり、ギラギラした浴場の目で見つめられる事に、屈辱されたように感じる。男たちに見つめられたいとは思うが、性的対象としてではなく、尊敬、賞賛といった人格的な要素を含んだ眼差しをほしがる。セックス人形じゃなくて、ファッション人形。だから私はバービーになりたい。
合コンなどで、座の中心になってにぎやかに笑っている女よりも、じつはその隣でひっそりと控えめにクスクス笑いしている女の方が、大物をさらって行ったりする。
男は、「外見だけなら、すきなだけ主張してもいいよ。やせてもいいし、ミニスカートをはいてもいい。でも中身は僕の手に負える範囲の子でいてね」という条件付き解放。求めているのは、「人生の中心には男の存在、依存型のバービー、自分にだけやらせてくれるバービー」
男にモテるには、外見よりも、「規格内であること」のほうが大切。
「女が伸び伸びと自由に生きること」と言うマスコミがこの事実に気づいているのか。気づいているならインチキな情報操作をしてやがるな。責任取る気あんのかよ。結局「盆栽美人」が一番。「盆栽的内面」だけで「かわいいね」「いい子だよね」と評価してもらえる可能性がある。ブスは、バービーにはなれないが、リカちゃん人形になら化けられるのだ。

美容整形したらいい。親から貰ったものなど、気に入らなきゃ捨ててもいい。家柄だって財産だって、いらないものは、相続を放棄できるのよ。とっとと顔なんか捨てなさい。
美人にオーラーがあるようにブスにもオーラーがある。男の「色気がねぃな」は「自分を受け入れてくれる」ことである。気の強い傲慢ちきな女たちを、彼らは「色気がない」と評する。いかにも優しく自分を受け入れてくれそうな物腰柔らかく寛容そうな女を観ると「彼女、色っぽいねぇ」などと目を細めるのである。「お高くとまっている」叶恭子も梅宮アンナも男を選んでいる感があり、拒絶のオーラーを出す。しかし、鈴木京香、工藤静香には「男が安心して甘えられそう」な雰囲気がある。男を選ばずに、拒絶しない感を男は「色気」と感じるわけね。

「自己主張」と小学校で教わったのに、それが悪いことなのか。しかし「自己主張の強い顔」の女には、絶対に「色気」が発生しない。叶恭子や梅宮アンナの顔には「自己主張」がある。

男がブスの癖にと思うのは、「ブスが偉そうな口をきく」とか「ブスがまるで美人のように暴慢な態度をとる」とか「ブスが俺を見下している」と感じる局面。

美人オーラーの三大要素、気品、知性、優しさを全部ではなく一つとるとすれば私のお勧めは「優しさ」である。ブスは「優しいお母さん」キャラになれば、プラスのオーラーを放つことができるのだ。

「地味=退屈=人気がない=さえないブス」という流れにそってブス感をもたれてしまう。「地味ブス」が心がけるべきは、「どのようにモテるか」ではなく、「どのように女友達から愛されるか」。控えめに振る舞うあまりに意志表情や感情表現が希薄になると、「何でもいい」と答えていると「暗くて気が重い」と感じてしまう。女友達に求められるのは「正直さ」「気安さ」である。

私の最終結論は、これである。「他人を愛する能力」こそ、最終的に獲得すべきものではないかと思う。


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