印象深かった部分をメモ書き。中国にご興味ある方は読まれてみると良いかと〜

「言ってはいけない中国の真実」

「中国人は相手を騙す」ということではない。中国の社会には「信用」という資源が枯渇している、ということ

中国が13億の巨大な人口を抱えていることは誰もが知識としては知っている。だがその数を具体的にイメージできるだろうか?

アジアはゆたかでヨーロッパは貧しい

同じ面積の土地があったとして、そこで小麦を栽培すると3年に1回しか収穫できない。ところが水田で米をつくれば年に3回も収穫できる。水田というのは農業における巨大なイノベーションで、養育可能な人口を一挙に増やした。

アイスランドは人口33万の火山島で、国民のほとんどは首都レイキャビクに住んでいる。国土の大半は無人の荒野で、地熱発電所をいくらでもつくることができるから電気料金はタダ同然だ

中国では歩行者より自動車が優先で、青信号で横断歩道を渡っていても車が突っ込んでくる。外国人観光客の交通事故が多発すれば、国家の威信をかけた一大イベントがだいなしになってしまう。そこで北京や上海の市政府は、住民に交通ルールを守らせることに躍起になった。市内のほぼすべての交差点に交通警備員を配置するという気の遠くなるような人海戦術だった。これがアジア的な問題解決法の典型なのだ。

日本は外界から隔絶された島国で、3000万程度の人口であれば政府(幕府)の管理下に置くことが可能だった。それに対して中国は異民族に囲まれた大陸国家で、そのうえ人口が1億から4億へと一気に増えた。人口の半分以上が行政とはなんの関係も持たずに暮らしていくことになった。

いつ誰に裏切られるかわからない社会では、信用できる相手を見つけるためのさまざまな工夫が必要になる。

宗族は同じ苗字でつながっており、台湾や香港では宗教結社や秘密結社も健在だが、そのなかでもっとも大切なのが朋友で、共に死地に赴くことを誓った彼らこそが最後の命綱なのだ。

中国人の行動文法では、裏切ることで得をする機会を得たときに、それを躊躇なく実行することを道徳的な悪とは考えない。こうした道徳観はいまの日本ではとうてい受け入れられないが、戦国時代の下克上ではこれが常識だった(だからこそ忠義を尽くすことが最高の徳となった)。それがさらに1000年つづくと、ひとを信用して荷物を持ち逃げされても、非は相手にあるのではなく自己責任だという文化が育つのだ。

日本の場合、安心は組織(共同体)によって提供されるから、村八分にされると生きていけない。日本人の社会資本は会社に依存しており、不祥事などで会社をクビになれば誰も相手にしてくれなくなる。だからこそ、会社(組織)のルールを私的な関係よりも優先しなくてはならない。それに対して中国では、たとえ会社をクビになったとしても「グワンシ」から新しい仕事が紹介されるから困ることはない。

社長がいうには、社員の転職を祝福すれば、会社を離れてからも「グワンシ」は続く。ライバル会社が高給で引き抜くような社員は優秀だから、やがてそこでも頭角を現わし、大きな権限を持つようになるだろう。そうなれば、彼との「グワンシ」から新しいビジネスの可能性が生まれるのだ。

そのなかで耳が痛いのは、「日本人の社員は高給をもらっているくせに、それに見合う仕事をしていない」という批判だろう
日本企業のなかには中国勤務を〝島流し〟のように扱い、人事のローテーションで二流の人材を送り込むところがある。こうした日本人社員は英語も中国語も話せず、海外出張はおろか海外旅行の経験すらない場合もある。彼らは中国勤務を〝苦役〟と考え、大過なく日々を耐え忍ぶことだけを考えている。こんなことでは、中国人社員にバカにされるのも当たり前だ。

村の党委書記は調査員にいった。「わしら農民は人間ではありません。豚や犬より下です」

日本は敗戦後にアメリカの占領下で経済の復興を成し遂げたアジアの国々の中ではもっとも早く人口ボーナスを享受することになったが、その分だけ人口ボーナスが終わるのも早かった。

「中国に生まれたい」とか「中国人になりたい」と思う人はこの世界にはほとんどいない。日本人を含め、中国に関わる外国人のほとんどは経済(金儲け)が目的

バスに乗る時、早い者勝ちが「平等」、妊婦やお年寄りに席を譲るのが「公平」だ。