サッカーやスポーツでプロになれなくても子供にとって大きく成長できるというのは同感です。サッカーの経験は、今の社会人生活にかなり役立っていますねー。本の中のお母さんのコメントでも「スポーツ選手にしたいというより、将来社会人として怒られてもへこたれない、打たれ強い子になって欲しかった。スポーツを通しての仲間づくり、人間関係の形成に力を入れている。」とありましたが、私は人生で生きていく上で学べることは、勉強よりもスポーツの方が大事なんじゃないかとよく思います。とても良い本だったサッカー好きな親御さんにはオススメの本です。

「世界で通じる子供の育て方」

全員がプロ選手になれるわけではなく、確率的には数千人に一人だと言われています。だからと言って「プロになれそうな子供以外は、サッカーをする意味がない」などというつもりは毛頭ありません。いつかその子がやって来た道に、その子自身が納得し、「最高の自分にたどり着いた」「何の悔いもない」と感じられれば、その子は将来、他の分野でも十分活躍できる、それこそ世界で通じる、自立した大人になれるでしょう。

現在の日本サッカー界を見渡すと、子供の成長を助けるどころか、むしろ妨げるのではと思える事象が多数発生していいます。子供達が、最高の自分にたどり着くことなく、サッカー人生を終えてしまっているケースを数多くみます。

「才能 x 正しい努力 x 運」と行った要素が必要。特に重要なのが「正しい努力」をすることです。方法が間違っていたとすれば、一生懸命やればやるほど子供達の成長は間違った方に進んでいきます。そして何年もの時が過ぎ、間違いに気づいた時には、正しいと信じて一生懸命取り組み、身につけてきたことが、修正できないほどの大きな足かせとなってしまいます。私は、指導者や保護者の思い込みに振り回されている子供達を見ると、気の毒でなりません。

コーンを置いてドリブルの練習をすれば、相手がいる場合、いない場合に関係なく、ドリブルという技術と、その際の体の動かし方は上達します。しかしながら、ドリブルは状況把握と、いつドリブルして、いつドリブルしないかという判断の基準とともに練習しなければ、有効かどうかの判断のないままドリブルばかりをしてしまう選手になってしまいます。

子供の力を最大限引き出してくれるであろう環境を選ぶ目を養い、親が自ら取捨選択できるようになること。

子供達が自分で考え、判断できるように誘導するのが、世界基準の指導方法となっています。「世界のトップ選手になるのに最も重要なのは、選手の生まれ持った才能であるが、その才能を正しい方向に導き、花を咲かせるのは指導者の仕事であり、それが最も難しい」選手だけではく、指導者の質が上がらなければ、日本サッカーは強くなっていかないのです。

子供の才能を正しい方向に導くには、常に進化する世界のサッカーをよく観察することが重要で、指導者がそこに意識を向けられるかどうかが大きな差を生みます。

勉強においては「年齢にあった指導」が行われています。サッカーグラウンドに行くと、年齢に関係なく、みんな同じトレーニングをしている場面を見かけることがあります。高校生も、小学高低学年も、同じようなパスの練習をしているのです。そして、多くの指導者が、その選手が7歳なのか、12なのかは考慮せず、自分が知っていることを全て教えようとしています。サッカーも数学と同じように、年代にあった指導が必要だと考えています。

12歳までに状況は握力をあげて、マークを外す動き方やサポートの動き方の基本を学んでいないと、きつくなる。

日本の子供達はトレーニングの最中にボールが外に出たら、自分で取りに行く癖がついています。しかし、バルサでは子供達がボールを自分で取りに行くことはありません。なぜならボールが出た瞬間に、指導者がすぐに新しいボールを入れるからです。いわば、日本のチームでは、試合とは違った状況で練習が行われていて、それが当たり前のようになっているのです。ボールが出るたびに練習が途切れていては、集中力は高まりませんし、実際の試合では集中力の欠如が失点に繋がるのです。これは一例ですが、厄介なのは、一度ついた癖はなかなか修正できないということです。

バルサで評価される選手が、他のクラブで評価されるとは限らないということです。例えば、アーセナルではスピードがある、縦に速い選手が好まれます。ACミランの場合はクリエイティビティ「創造性」を重視します。実際、選手が持っている才能、本来の力を引き出すため、とにかく自信を持ってトライさせるトレーニングが多く存在します。日本のJクラブでもどのクラブでも、そのクラブが求める選手像があります。自分の得意な部分が評価されそうなチームを見つけることが、サッカー選手として上に上がるコツと言えます。自分がどんなプレーヤーであるか、しっかり把握することが出発点です。

いい選手とは、自分の得意なプレーを試合中に表現できる回数が多くなるように自分のプレーを最適化していける選手です。

クラブが強いから、有名だからといって、そこがその子にとって一番良い環境とは限らない。子供が身につけるべきことを吸収できるところ。子供が心からサッカーを楽しいと思えるところでプレーしないと成長できないのではないか。

今、自分が知っていると思っているサッカーは、10年とか20年前に教えてもらったサッカーではないですか?サッカーは日々進化しているのです。ドヤ顔で20年前の知識を振りかざし、子供に口出ししてくる親がいると、毛嫌いしたくなるのも頷けます。親が十分にさっかーを勉強していない場合かつ、子供に間違った感覚を押し付ける場合です。間違った知識しかなく、子供と一緒に学んでいこうという意識のない場合は、子供のサッカーに介入すると間違った方向に導いてしまう可能性があります。

自分はサッカーのことは詳しくないから、監督やコーチに任せたほうがいいという考えの人もいると思います。もちろんそういった考え方を否定しません。ですが、自分の子供について、誰よりも考えて、誰よりも知っているのは、誰でしょうか?間違いなく親です。その親がサッカーを子供に教えるのは、理にかなっています。細かい部分について、指導者は細かく指導してくれないことが大半です。トレーニング時には一人のコーチが少なくとも10人、多ければ20人ぐらい同時に見ないと行けないことがあり、細かいところまで観ていられないのです。しかしながら、サッカー上達における決定的な部分は細部に宿るのです。

子供は第三者から言われた方が腑に落ちることが多いのです。親の言うことを聞き入れにくくなると言うのは、大人になっていく過程では普通に起こることなので、そこで強引に親が関わろうとするとうまくいかなくなります。

小学生時代は何も考えずに好き勝手遊んでいました。結果的に、自分で主体的にやる習慣がついたとは思いますし、そのことが20代で会社を起業することに繋がったのは間違いありません。

親は子供が夢を叶える確率を高めてあげることができると言うことです。受験勉強のために学習塾を選ぶ時は「いい先生がいると近所で評判になっている塾」や「神学校への合格実績がある塾」を探して、そこに通わせる人は多いかと思います。それと同じように、子供がサッカーに真面目に取り組んでいたり、サッカー選手になりたいといっているのであれば、その確率を高めるための環境を与えてあげるのも親の仕事の一つだと僕は思います。子供が見えている世界というのはすごく狭いものです。もっと良い選択肢はないのか、子供と向き合いながら考えてあげて欲しいと思うのです。子供は視野が広くないので、良い環境を探してあげるのは親の役割です。でも、何も情報がなければ、リサーチの使用もありません。だから親同士のネットワークを作っておき、情報交換することが重要になります。子供だけでなく、親にも自分の世界を広げる勇気が求められるのです。

お母さんがやったことは、書店や図書館に行ってサッカーの本をかたっぱしから読みあさること。サッカーの知識がなかったが、子供に「あんなことが書いてあったよ」「この人はこういうことを言っていたよ」と教えてあげる。子供からしても「サッカーをやったことのないお母さん」の話には耳を傾けなくても、サッカーの専門家が言っていたことだったら素直にアドバイスとして受け入れることができます。

質の高いサッカーをたくさん見ること。スタジアムで見る方が得られるものは増えます。子供がチームでやっているポジションの選手だけを1試合追いかけて観ましょう。そして、その状態でできる限りボールの動きを同時に追うのです。

家を引っ越すときに「目の前にサッカーができる公園があること」を条件に探したそうです。

サッカー留学することは、サッカーのレベルが高いとか低いとか関係なく、強烈な体験を子供自身が経験することによって、そのあとの人生に大きなプラスの効果があるというのが最大のメリットです。

サッカー人生で出会える指導者の数というのは、決して多くはありません。小学校から高校までなら、トータルで数えても10人を切る程度でしょう。だからこそ、正しい方向に導いてくれる指導者に出会えるかが重要になるのです。

太陽を背をって立てば、子供達の目に太陽が入り、眩しくて集中できません。子供からコーチしか見えない場所。他のチームの練習が見えない場所で。どこか一箇所にボールを固めておく。足元に視線がいったりして100%の話を聞くモードになりません。教える側が子供達の集中力が落ちないようにする状態を作ってあげることが大事です。

練習を見学して、一列に何人も並んでシュートの順番待ちをしていたら、そこには行かない方がいいでしょう。

ディフェンスラインからの判断のないクリアに対して、「ナイスクリア!」という声がけが入るチームは、おそらく失点をすることを避け、リスクの低いプレーを望むチームである可能性があります。また、何人に囲まれていようともドリブル突破することを褒めるチームだと、小学生の間はドリブルの指導にフォーカスし、判断基準を学ぶようなことはやらないチームである可能性が高いでしょう。

親が「今日は勝った?」と最初に聞くと、子供にとっては試合に勝つことがお父さん、お母さんが一番喜んでくれると勘違いしてしまうかもしれません。「今日は楽しかった?」と聞いて観てください。次第にお父さん、お母さんにとって何が一番大切なのかをわかるようになると思います。

飛び級はフィジカル面で同学年より明らかに上回っている場合です。自分がフィジカルだけで優っていることが見えづらい。また工夫しなくてもうまくいくので、技術の習得が遅れてしまいます。だからこそ、フィジカルにあった学年でプレーすることが重要なのです。つまり、飛び級というのは個々の選手の成長度合いによって行う。ただ上のカテゴリーでやれば万事オッケーというわけではありません。

スポーツ選手にしたいというより、将来社会人として怒られてもへこたれない、打たれ強い子になって欲しかった。スポーツを通しての仲間づくり、人間関係の形成に力を入れている。

海外では、監督の構想に合わなければ戦力外になってしまう。一見誰もが憧れる「そこ」は人を育てる目的ではなく、勝つための選手を集める目的の場所に豹変する。子供であっても、プロになるためにプロと同じ流儀で捨てられ、拾われる。それが海外の育成の現実だ。

今はとにかく数多くドリブルさせて、もっと大きくなってから判断の部分を指導すればいいという指導者がいるかもしれません。しかし、大きくなってから判断の部分を指導しようとするとこれまでy張ってきた「とりあえずドリブル」という癖を修正するのに恐ろしいほどの労力がかかるのです。

「イニエスタの最も優れているところは、イニエスタにボールが渡る前は味方にとって有利と言えない状況だったとしても、イニエスタを経由したら必ず味方にとって有利な状況に局面が変化していることだ」FCバルセロナでは自分が良いプレーをするだけでなく、味方を輝かせることのできる選手が高く評価されます。サッカーというスポーツは個人競技ではなく団体競技であり、チームとして最高のパフォーマンスを出すことが勝利に繋がる。そのためにはボールを持っている、持っていないに関わらず、常に味方のために最適なプレーを選択し続ける必要があります。

一人でも多くのサッカー少年&少女が、自分の才能の最高地点までたどり着いたと感じられるサッカー人生を過ごせますように。



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