中村俊輔選手の本です。過去の日本人サッカー選手の中で一番のファンタジスタだとは私は思います。現代の日本の子供たちでも型にハマった選手が多くファンタジスタタイプの選手が少なくなったと聞きます。マラドーヤ、ロナウジーニョ、メッシ、ネイマールなどチームが名プレイヤー選手に戦術を合わせるぐらいの世界の歴代に残る名サッカー選手が日本からも出て欲しいですね。

「察知力」
慎重な性格というか、新しい環境に入ると、自分を出す前に、周囲を観察している。だからこそ、空気を読む力、察知力がついたのかもしれない。チーム戦術があっても、選手それぞれにサッカー観がある。

オシムさんのサッカーは、僕が考えていた「日本が世界で勝つための」のサッカーと共通点が多かった。オシムさんの選んだ選手たちは、空気が読める。察知力が高い選手だと感じた。サッカーを知っている選手だった。流れを察知して、考えて、いいタイミングで動くことが必要だということ。誰かかがパスを出してから動くのではなくて、次の次くらいを想定して動くこと。そんな風に頭を使うこと、空気、試合展開を読む危険察知力。

察知力というのは、アスリートだからというのではなくて、あらゆる仕事をしている人に当てはまるはず。

サッカーは人生だという人も多い。サッカーが人を育てると。

他人に興味を持つことで、いろんな人の経験を知ることができ、自分にフィードバックできるものを発見することもある。どんな仕事をしている人であっても、その人の持つ「経験」は貴重な財産だから。

「書く」ことがいかに大切なことかを教えてくれたサッカーノート。メンタルトレーナーの先生から勧められて、書くようになり、それは10年以上経った現在も続けている。

サッカーノートには、忘れたくないこと、忘れちゃいけないことがぎっしり詰まっている。海外リーグのこと。心に残った誰かの言葉、新聞や雑誌の切り抜き、批判された記事。喜びよりも悔しさ。時間を経て、そのきじをみたときに、自分を奮い立たせることができる。

批判された時や、チームのサッカーが思うようにいかないような時には、「とにかく気にしないで、自分のサッカーに集中することが大事なんだ。」

フリーキックを蹴ったらすぐに顔を上げる。ボールの行方を追うこともあるけれど、キーバーを観察することも忘れない。ある試合で、1本目のフリーキックを右にけり、外してしまった。その時、キーパーはボールがまだゴール近くに達していないのに、すぐに右へ動いていた。このキーパーは早く動くタイプだということを察知し、同時に右を怖がっているんだろうと考えた。だから、次のフリーキックでは左を狙おうと思い、2本目は左へ蹴り、ゴールを決めた。フリーキックという駆け引きの場面では、観察し、情報を集め、察知する。

Jリーグでプレーしていた時と、今とでは、フリーキックを蹴る時のフォームも違ったものになっている。身体の筋肉も変わるし、ボールやスパイクも変わる。日本とヨーロッパとでは、ピッチやキーパーも違う。変化を体感し、それに応じて、進化させていかなくちゃいけない。

キーパーを立てて蹴る練習をする場合は、色々とキーパーへリクエストする。「ニアに蹴るから、早めにニアへ動いてくれ」とお願いするときは、キーパーに蹴るコースを読まれた状況での練習だ。それでキーパーに止めらえれると、もっとスピードのあるボールを蹴るとか、早く落ちるように蹴らなくちゃいけないなと考える。そんなん風に想定してトレーニングすることも多い。フリーキックに限らず、どんなプレーでも、ただ漠然とトレーニングするだけじゃなく、試合の状況をイメージし、様々なシチュエーション、相手のこと、そして自分のコンディションなどを考え、今、必要なことを選択し、練習する。

試合に出続けるためには、監督が描くサッカーを理解し、それに対応しなければならない。だからこそ、僕は多くの引き出しを保つための準備をしなくちゃいけない。引き出し。積み重ねてきた経験から生まれる対応力という意味合いに近いかもしれない。ある場面に出くわしたとき、どういうやり方で対処できるのかと考える。過去の体験を活かし、解決策を模索する。そのとき、引き出しを開ける。

クラブに必要な選手であり続けられたのは、今思えば、トルシエ監督のもとで左サイドを経験した結果かもしれない。どんなポジションでもプレーしなければならないという意識を持つことをあのとき学んだ。どんなポジションでも「グラウンドに立っているべきだ」

嫌だと感じることであっても、逃げないで飛び込んでいけば、何かがあるんだということを知った。その感覚は今でも持ち続けている。

シーズンは長いから、スタメンで出ている選手が疲れていたり、怪我をしたり、累積警告で出場停止になったりすることが絶対にある。そういうとき、「ちょっと使ってみるか」と、監督に思わせなくちゃいけない。わずかな時間でもいい。試合出場のチャンスを得たら、そこで、結果を出すだけ。試合に出れない、チャンスが来ないとなれば、誰だって、気持ちが落ちる。でもそういう時にこそ、踏ん張らなくちゃいけない。落ち込んで、腐ってしまえば、オーラーは消えてしまい、存在感が薄れ、ますます出場チャンスから遠のくこととなる。壁にぶちあった時、どうにかしようと立ち向かう、前向きな気持ちを持つのはたやすいことじゃない。

「今日の練習で手を抜いたら、次の試合に出られなくなるんじゃないか」という危機感が日々続くような生活を送りかった。

いいポジションにいる味方へパスを出した方が、確実にゴールが決まるシチューエーション。僕はパスを選択すると、受け手にとっても僕がパスを出すことは想定できていない。
パスがパスミスになる。イタリアでは、ゴール前でボールを受けたら、選手はシュートを打つことしか考えていない。頭で理解できていても、長年身についたプレースタイルだから、最初は戸惑った。フリー状態になっている味方が視野に入ってしまうと、どうしても彼にパスを出してしまう。でも、だんだんと、パスよりもシュートを選択するようになった。

レジーナのマッサージは肌を撫でているだけで、筋肉の疲労を取る効果はなかった。日本のトレーナーと契約。これからは、自分で身体を管理するべきだと考え、出した結論だった。

サッカーをプレーすることで、自分のことを周囲に分からせる。

自分を知っておくことは大事だ。自分ができること、できないことを。

監督が目指すサッカーの中で、自分を生かすための作業の一環として、監督の要求を知り、サッカーを理解しようと努めているだけだ。監督の戦術に合わせながら、どんなポジションでも、自分の色を出してプレーし続ける。自分の苦手を克服する、新しい武器を身につけることしかなかった。

名選手がいい監督になるとは限らないけれど、彼ら3人に共通するのは、「選手の気持ちをよくわかっている」「あまり細かいことを言わず選手を信頼している」と感じさせてくれるてんだ。

言葉の壁がある、海外でプレーしている日本人選手は、自分のプレーを相手に伝える能力が自然と磨かれるはずだ。プレーすることで、味方に分からせないといけないから。もちろん、自分を分からせるには、チームメイトをすることも大事だ。

ミスはその場で指摘しないと直らないという信念を持っていた聞いたけれど、いつ伝えるかというタイミングも重要なことだと思う。

ロナウジーニョはテクニシャンとして有名だけど、身体が鋼のように堅い。当たった時の痛さは、対戦してみないと実感できない。

他人を嫉妬している人は伸びない。

ふてくされている時間ほど、無駄なものはない

監督に怒られないにようにしているだけじゃ、成長しない。監督の求めるプレーを忠実にやる、という意識も必要だ。けれど、土台が出来上がったら、そこから先には、選手の強引さが必要となる。

空気を読む力、察知する力は、人を思いやる力でもある。


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