頭の良さとは学力でないですからね。
「バカとつき合うな」
「バカとつき合うな」
あなたは自由であるべきだ。なのにもし、あなたが今自由でないとしたら、その理由は簡単です。バカと付き合っているからです。
環境やつきあう人間を選ばないと考えてしまうのは、バカの思考です。環境は、選べるし、変えられる。
情報を取りに行くということは、運任せにしないということです。成功している人って、運がいい人ではなく、運任せにせずに勝つための情報を集めに行った人なんです。
想像できないというのは、単に情報をもっていないことにすぎない。
勉強ができるバカ。耐えて我慢すること自体がいいことだとする人がいます。良薬口に苦しっていうことわざのせいもあるでしょう。「日に苦いものは良薬なんだ」と誤解し始める。
極端な菜食主義をする人がいます。食肉を我慢することがいいことだって思い込んでしまっている。
医師たちが言うのは、とにかくストレスが悪いと言うこと。食べ物を我慢して食べたくないものを食べてストレスをためていたら、そっちの方が健康に悪い。
こう言う人たちに限って、「自分と同じようにせよ」って他人に強要してくるんですよね。自分は我慢しているのにあの人は我慢していない、不公平だ、ずるいっとあまたの中で論理がスライドしてしまっているから。
ロジックで議論できないから、感情で反応
人生の4分の3を学校と労働に明け渡す。それ、長すぎませんか?自分で考えて納得した配分ですか?
善意のバカは本当に嫌いです。本当にタチが悪い。自分がいいことをしていると信じて疑っていないから、何を行っても耳を貸さない。つまり、バカの中でも止めようのないバカという意味で最悪です。
行動している人に文句を言っても、文句を言う人間が行動できる人間になれるわけがない。
人間の頭のスペックなんて、東大卒だろうが中学卒だろうがそんなに差はないんです。地頭力なんて幻想。余計な思考を捨てることが即、あまたの良さに繋がるんです。
「自分とは何者か」なんてどうでもいい。理由なんて必要なしに、あなたは事実、存在している。探さなくてもあなたはそこにいるじゃないか。それでも探さなきゃいけない自分なんて、本当は存在しない自分、つまり、でっち上げた自分です。結局それは、他人の目を意識して必要としてるものなんじゃないですか?それで、「他の人がやったことないんことをして自分の個性を確立したい」とか言い出す。その発想自体がもう、没個性。発想力がないから、みんな揃いも揃って、インド行っちゃったりする。
「自分とは何者か」なんてどうでもいい。理由なんて必要なしに、あなたは事実、存在している。探さなくてもあなたはそこにいるじゃないか。それでも探さなきゃいけない自分なんて、本当は存在しない自分、つまり、でっち上げた自分です。結局それは、他人の目を意識して必要としてるものなんじゃないですか?それで、「他の人がやったことないんことをして自分の個性を確立したい」とか言い出す。その発想自体がもう、没個性。発想力がないから、みんな揃いも揃って、インド行っちゃったりする。