知は権力?!

人生の幅を広げるには、人と会うこと。旅をすること。本を読むこと。

カテゴリ: 教養

私は学生の頃、桜井章一さんの漫画も全巻買って読んだり、ドラマも見ましたね。リスクを恐れず、相場師として生き抜く、男のロマンですね。

「「強さ」の奥義」

洋服屋に入ったら見るからにヤクザって野郎が店の奥に座ってコーヒーすすっていたよ。みんなはどうするよ、こういう場面。近づかないようにしようとか、強くなって逃げるんじゃねえのか。俺は、逃げない。近くに座ってやる。すると向こうはこう考える。普通は不安がって避けて逃げようとするのに、こいつ不安がね、何者だと逆に不安を持つ。だからそいつ、コーヒー半分残して帰って行った。俺は不安とか怖さ、トラブルってものが好きなんだ。皆さんは、そういう場面だと逃げるでしょう。だけど俺はトラブルに飛び込んで行くからね。何事にも俺は一体感を求める。相手が自然であれ、ヤクザであれ、一体化して自分から入り込みひたっちゃうんだよ。子供と遊ぶ時にも、子供と一体感を求めてひたっちゃう。ところが、みんなひたれないだろう。子供の方が大人と遊ぶことに飽きちゃう。

同じ信頼でも他人に信じられたいっていう信頼が多いだろう。これじゃだめだ。他人によく見せようとか、他人の前だけ頑張ろうとか、そうやって得ようとする信頼は何の意味もない。人に見せかけるために着飾っても自信は生まれないぜ。そんなのは会社とか仕事とかいう洋服を脱いだら自信がなくなるだろうよ。他人の力、他人の金、人の愛を期待して生きているやつに自信がモテるはずがねえだろう。人に依存している限り、その人がいなくなったら、どうするよ。人間は一人じゃ生きていけないよな。ふれあいが大切。ただし、勘違いするな。人と触れ合うことと、人を利用するってことは全く意味が違うこと。今の社会は、人や何かを利用したりたかったりする関係で成り立っているだろう。金の切れ目が縁の切れ目、だから互いに不安で、互いに自信がもてねえじゃないか。

男女の関係においても同じだろう。裏切りなんて考える奴は、人の愛にぶらさがっていただけだろうよ。余裕のあるやつには人が自然と集まってくるって。

常に厳しさを自ら選択していくことでしか、自身は生まれない。二つの道があるとすれば、常に厳しさを求めろ。甘いものばかりを選択するものは、やはり依存的体質だろうよ。

大事なのは、柔軟性だ。人との約束については俺は徹底的に守る。だからこそ、普段は自由にしているんだよ。人との約束を破るやつほど、硬い規則で自分を縛る。自分は12時に寝るから、組らとは突きあえなんて平然としている。本当の自身のあるところには、必ず柔軟せがあるものだ。

人に優しく、思いやりを持て、感情を豊かにしろ、これはみんな子供の頃に教わった単純な基本だ。それを大切にしているやつには、”自然な自信”というものが身についているね。

登山家のラインホルト ヘスナーは8000メートルの山を無酸素で登ってしまうという超人。ロッククライミングの時すら彼らは最低限の道具しか使わず、命綱ロープスラ持たないというだ。本当の意味での命がけというんだよ。実は、我々も彼らと同じ能力は持っているはずだよね。それができないのはなぜか。便利さに埋もれているからだろうな。車という便利なものに頼れば足腰が弱くなるように人工的なものに頼りすぎて本来持っていた能力を失っちゃったわけだ。

やることやって貧乏であることが最高にかっこいい生き方だってこと

勝たずとも男を立てるという考え方だ。俺が10人に喧嘩するじゃねか。10人の悪党が一人の弱い奴をいじめているという場に遭遇したら、俺は勝とうが負けようが、ボコボコに殴られ、骨をおられ、血みどろになっても俺は戦いに臨んでいくよ。負けるに決まってるよ。損か得かを考えれば、明らかにそんだ。それでも俺が戦うのは、「男が立つ」という一点にこだわるからだ。生きていく上での大事な「男」を守るために俺は戦うのよ。男の強さとは、損得の計算、合理的な考えを捨て、どれだけ「小」に分け与えることができるかということに尽きる。

俺は雀鬼会にやってくる若い衆、弱った子たちを絶対に見捨てない。「小」を見捨てないことが「愛」であり、「大」に振り向くのは「欲」ってんだろう。

女房、子供のこと、若い彼女のこと、親、友達、すべての人間関係を含めて考えることが”愛”なんだ。一方”恋”というのは好き嫌い。身勝手なんもさ。

俺は麻雀で金という欲を満足し、女性で色ごとも叶えることができたのだから、男冥利に尽きるよね。で、あんたもそうなりたんだろう。ところがよ、そうは問屋がおろさないぜ。

男を磨けば根性だけじゃねえよ。男の色気も出てくるし、包容力、優しさ、上司だけじゃなく女の子が喜ぶものもいっぱいついてくるぜ。

女性が母親だけ、あるいはキャリアウーマンだけの役割しかなかったら、色気のない釈迦になるね。そして今の時代、女っぽい色気のある女性が少なくなったように、男っぽい香りを発する男もいなくなった。それが少子化現象、高齢化社会の原因の一つだね。

男の価値は強さになる。獲物を狩るだけの強さ、勇気、根気が必要。頭がいい、金がある、大企業に勤めているという価値観だけでオスを選択したら、いかに医療が発達しても精神の歪んだ弱い人間がはびこってしまうわけだ。

損得計算にたけた生活をしていると、人のことでわざわざ出向くのはそんだと考えるじゃねえのかい。リスクを極力避けて通るような生き様だよな。最近、こういう輩が多いだろう。自分が明らかに損をするだろうと思われることについては、絶対に手を出さない。だけど、儲かる話ならどんな努力も苦労もいとわないてな輩だよ。リスクを避ける生活に慣れてしまうと、病につながるぜ。損することがわかっていてもやらなきゃいけないと走り回る人間には、お互い様よ、という感情が生まれ、そこから義理、人情という熱い男として認められるわけだろう。俺たちの世代にはまだそういう感覚があったね。

損得勘定ばかりやっているバカ親がいる。この子を育てて塾に通わせて良い学校へ入学してもらい、大企業で出世させて、楽させてもらうとかよ、計算するするじゃねえか。その瞬間から愛がなくなってしまうわ。その結果、子供は愛に飢え、勇気を持てずに大人になり、リスクを避けて通るやつになっちまうんだ。

リスクを追うということは、自分のほうとうの姿を知るってことになるんだぜ。大事なことは痛みをするってことだ。自分の強さを知れば相手の痛みだって想像もつき理解できる。それが本当の強さを持った優しさに繋がっていく。だからリスクは買ってでも背負えってわけだ。

自然の中にある本能の世界とは、それほど厳しさの中にあるってことを、今の男忘れてしまっているね。自然に近づくことでしか、本能は蘇らせることはできないぜ。ところが、現代人は逆に自然から離れようとしているだろう。例えば、長生き、健康、何もかもよりよくなろうと考えているじゃねえか。これはね、薬と一緒で必ず副作用が起きるし、後遺症が残る。

今や結婚でも恋愛でも相手が財産もちか、と考えてやるから間違え、離婚がやたらに多くなるのは当たり前だ。愛なんてのは、感じることだろう。考えるもんじゃねえっての。だから考えるな、感じろと指導しているんだ。楽しみながら感性を磨いていけば、お互い位に関心を持てるし、愛を持って人と付き合うことができる。

そこらへんに落ちている気に入った石ころやら木の枝なんか思いつくままにポケットに突っ込む。自然のエネルギーをもらうんだよ。長い時間人間に触れず、風邪や水、純粋な自然の中にあったものには、自然のエネルギーとリズムが宿っているからね。人が作ったお守りなんか持たない。少しでも自然のものを身につけることで、感覚も研ぎ澄まされ直感がさえる。

人口のもの中の生活では、鋭感な直観力も、流れを味方にする自然のリズムも身につかないぜ。当然勝負に強くなることなんかできないと断言するよ。人間が作ったものはみんなダメかって?そんなことはない。大量生産で生み出された商品には魂は宿っていなが、一人前の職人さんが作ったもの、器だとか角田とか、そういうものは確かに魂が込められた代物だった。ものと人、ものと心がしっかりと繋がっていたよ。

本当に強い人には寄ってくるんだよ。安心なんだ。動物だって人間だって。そうだろう。

男は一歩外に出れば7人の敵がいるというじゃねえか。ってことは1日に7個は自分にとって嫌だなと思えることが起こる。そこを逃げずに勝負してみろよ。そうすれば強くなれるに決まっている。嫌なことから逃げちゃ、強い男にはなれないよ。

日本よりはるかに貧しい国へ行くとしっかり生活している人々と出会うはずだ。朝起きた時から生活をしなければならないということを肌身で感じるはずだよ。日本には生活感が全くないだろう。君の場合は特に生きるというより生かされている生活をしているに過ぎないんじゃないの?

男なのに男を感じさせないやつ、女なのに女らしい女を最近見ないよ。一応は生活はしていても本当に生きて活動している生活感のある人間がいない。

世間が売り込むと行ったのは、やれダイエットだ、やれ健康食品だ、栄養剤だ、人間ドックだと脅迫的に押し寄せてくるからさ。あれをいちいち気にしてたら、本当に病気になっちまうよ。不安を煽って金儲けをするのが健康産業、宗教産業、保険屋、いずれも文明のあだ花だろうな。それに比べると「おふくろの味」というのはあったかいんだよね。だから同じ食べ物でも気持ちのこもっているものを食べろということだよ。

一流有名大学を出た上層部のエリートと言われる連中は、今の世の中生き残るために悪党の手段を用いる。それが常識になり、ズル賢い手段をとる人間が高いと評価するのが、君らの生きる世界なんだよ。仕事ができるなんていうやつは、「俺は悪党だよ」と言っているようなもんだし、大企業の看板やらブランドも、「悪党企業ですよ」と世間に言っているようなもんだ。正当な仕事はそんなに稼げないものだ。

約束の守れる正直な男になれ。それが人間社会のおきてだよ。


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ビートたけしさんの本です。たけし軍団の間抜け事件、コント、漫才、テレビタックルでの討論や、映画に関して詳しく分析して解説してくれているので、お笑いを目指す人は読むべき本かと。そうでない人でも楽しい本だと思います。またビートたけしさんっぽい、夜のお姉ちゃんネタや下ネタトークなどもあり、ここでは書けませんが、お笑いネタに興味がある人は一読してみてはいかがでしょうか。


「間抜けの構造」
間抜けとは「間の悪いやつ」のこと。間というものをコントロールできるのか、人生いかに間を活かすかを考えたい。

政治家がこんなに間抜けな発言をするのかというと、自分がどういう立場にいる人間化がわかっていないからだ。自分を客観視する能力がないからこういうことになる。


空気が読めないなんて言葉が流行ってるけど、「言わなきゃいいことを、言っちゃうやつ」というのはたいてい間抜けだから。「そういう状況のときは、黙ってありがたく従う」というお約束が守れない。


芸能レポーターも間抜けが多い。現場で張り込んでいるレポーターが、車に乗り込んで立ち去ろうとしている渦中の芸能人に向かって大声で叫ぶ。「○○さんとの関係はどうなんですか!」そんなことを運転しているやつに言っても答えるわけがない。大体、声が届いていない。車を止めてグーと窓を開けて、「えー、彼女と関係は。。。」って言うわけないだろう。「愛はまだ続いているんですか!」「なぜ二股をかけたんですか!塩谷さん!」知ったこっちゃないよ!「男女の関係はあったんですか?」という質問も間抜けだな。「男女の関係」ってなんだよ。「やったかやらないか」って素直に聞けよ、ばかやろう。

覚せい剤で捕まった若い俳優に、レポーターが「奥さんはどう思ってるんですか?」って、これも答えるわけない。奥さんに直接ききなさい。警察の車で運ばれる俳優に「奥さんの気持ちをひとこと」って言っても、わざわざ出てきて「えー、かみさんの心境を代弁すると、、」なんて言うはずないんだから。

名乗るだけで笑いをとれるなんて、なかなかそんなチャンスはないよ。芸能人の離婚会見で、「「漫画エロトピア」の北野でと申します。夫婦間の夜の営みは、、、」とやれば、場内爆笑まちがえなしなんだけどな。

コントというのは、こういう間抜けな状況を意図的に作るという事。

軍団の間抜け話はきりがない。あいつらみたいに間抜けなことばかりしていたら、一般企業だったらとっくにクビになってるよ。でもお笑いは、そうした社会とは違う世界だから。向こうの常識はこちらの非常識であって、向こうの非常識はこっちの常識。一般企業に合致するようなことばかりしていたら、それこそお笑いの世界では通用しない。

実践をやらないやつは一切ダメ。これは芸でもスポーツでもなんでも共通することだけどね。


ニュースだけでなくて、いつからかお笑い番組にもテロップがいっぱい出るようになった。「ここは笑うところですよ」って教えてやっているつもりなのか。文字で確認してからじゃないと笑えない。そんな時代になっているんだろうけど、そうだとしたら、今の人は相当頭が悪いね。テレビからどんどん間がなくなっちゃっているから、その代わりにラジオというのはもっと評価されていいメディアだと思う。

討論のときにどこで話に入っていくかというのは、縄跳びに入っていくタイミングを見極めるのと同じで、それが上手い人と下手な人がはっきり分かれる。「最後に一つだけ言わせて」というやつも嫌われる。そう言うやつに限って、一つで終わった試しがない。

歌舞伎町のホストも間を空けない。じゃんじゃん話をして、間を埋めていって、気持ちよくさせて何十万円もするシャンパンとか注文させるのが基本だからね。

今の日本の若い人とか、これから日本に生まれてくる人は大変だよ。バブルが弾けてからいっこうに景気がよくならないし、これから上向きになるとも思えない。人口もどんどん減ってくるし、国力も今の状態を保てるかあやしい。だから、生まれた”間”が悪かった、ということはあるんだよ。才能と実力もあるけど、最後まで時代との相性が悪くて、世に出ることができなかった、なんていう人はどの分野でもざらにいる。あらゆる業者というか職種に波みたいなものはあって、その時代にその分野にいるかどうかというのは運でもあるし、”間”がいいかどうかが試される。

落ちこぼれでもいいから、人と違う事をしようと思った。役者と乞食じゃないけど、芸人も一度やったらやめられない。客を笑わせるというのは、麻薬みたいなところがあるんだ。

ほんのわずかな人間しか、古代ギリシャや何百年前の問題を解けない。一握りの天才や芸術家が世の中を引っ張ってきただけなんだ。その他の大勢の人間は、それに乗って生活しているだけ。そのことを忘れないほうがいいと思う。マッチ一個、釘一本自分でつくれやしない。天変地異が襲ったら、一瞬で終わっちゃおう。そういう危うい土台の上に、我々は立っているということを忘れちゃいけないよ。

本当は人生の”間”があったほうが豊かになるのに。みんな履歴書に空欄をつくらないように、人生の”間”を必死で埋めようとしている。もう一回”間”というものを見直して、生き方を考えてもいいんじゃないのかと思うけどね。そんなところが結論なんじゃないかな。間延びしないうちに、この辺で終わりとするか。

間抜けの構造 (新潮新書)

節約やリサイクルが逆に資源の無駄遣いになっているという事実を知らない人は多いのかもしれません。

「科学者が読み解く環境問題」

北極の観測が全体的に行われるようになったのは、1978年からであり、主として人工衛星の発達による。詳細なデーターは 2002年からである。

北極の気温が低かった1978年からの観測をしようし、「観測史上」とか「過去に例のない」と専門期間が表現すると、一般の人が「長い歴史上でも初めて温暖化したのだな」と思うのは当然の情報の受け止めかたである。たった100年間の観測であるが、1940年に一度、気温の高い時期があり、21世紀初頭は、それと同等の高い気温である。

北極の氷が全てなかった時代があったかどうか、わかっていない。

ホッキョクグマは絶滅の危機にと言われているが、ホッキョクグマは数万円から20万円前に種として独立したので、絶滅の器具は気温の変化が原因しているのではなく、人間の活動などによると考えられる。

平安時代などの高温期と言われる時代に、北極がどういう状態になっていたかは不明である。

南極の気温は若干低下傾向にあるが、全体としてはほぼ変化がない。地球の平均気温の上昇幅の約半分であるから、「地表が温暖化している」というならば、この0.4度を誤差と考えずに「南極点は寒冷化している」と表現するべきだろう。

打ち水をしなくても地面が湿っていたり、木が茂っていればそこから水分が次々と蒸発して地表を冷やす。ところが人間が作った年は、このような自然の熱の循環を利用せず、石油などの化石燃料のエネルギーと断熱膨張を利用した冷却でカバーするという設計を利用したのである。

20世紀の気温は、都市部の測定であることを前提として100年間で0.7度上昇している。

地球の気温全体の動きからすると、100年で0.25度ほど上昇し、都市化による影響がある程度あるので、0.7度上昇のうち、どれだけがCO2の影響によるかなどの温室効果ガスの寄与か不明である。

温暖化という化学の対象が、政治的に使われるようなって以来、データーの信頼性、解釈の学問的正当性が失われ、判断が難しくなってきている。

日本北東の海水温はほとんど上昇していない。

天狗熱が、温暖化によって東北に流行するという論理は全く科学的ではない。もともとこのような流行病は生活の基礎的な衛生状態がもっとも大きな要因となる。

「レジ袋を削れば、レジ袋を製造するだけの石油が節約される」という論理が設立するが、環境の時代には、「レジ袋をやめれば、その代わりに専用ゴミ袋とエコバックがいる」ということになる。

レジ袋のために消費する石油はなく、ヨーロッパ旅行に一回行くと、飛行機の燃料はその人が使うレジ袋に換算すると300年文に相当する。旅行好きな人もいれば、人生で一度も外国旅行に行かず、小さな買い物が好きな人もいる。このどちらが「環境に良い行動か」を自然科学が決める基準はまだ確定していない。

電気を使ってもCO2は出ないという正反対のことがNHKのニュースに流れるようになった。電灯も電気自動車もCO2は出さないが、電気を使うから電力会社の発電所でCO2が出る。

ダイオキシンの毒性は極めて小さい。しかし、マスメディアで報道された記憶によってこのような判断は不可能尾であると考えられる。

ペットボトルを回収するとその経費だけで石油から作る場合の5から10倍以上を要する。

リサイクルのコストは冷却のコストに比べて6倍になる。

日立製作所が、自社の冷蔵庫にリサイクル品を使っていることなどを理由に「環境大賞」をとり、それを武器にして板が、実際にはほとんどリサイクル品を使っていなかったことが判明した。

プラスチックのリサイクル対象物が全資源の0.25%にしかすぎず、科学的には効果がなくても、社会的にはやるべきであれば、その必要性を示せば良いのであり、効果のないものもあるかのごとくに表現して、社会的な強制力を正当化するのは不適切である。

リサイクルが節約に役立つと考えてしまう原因には、次の三つがある。1、自分の身の回りしか見ない習慣、2、面倒なので、全部計算しないで済ませる御都合主義、3、理想や目的は別にして儲かるから推進する。

スーパーはレジ袋をタダでお客さんに提供すると、年間600億円の出費になる。袋を仕入れいるスーパーの方は負担になってきた。この出費を避けるには、まず第一に「市民にレジ袋をゴミ袋として使わせない」ということだ。スーパー側は「レジ袋追放」という運動を始めた。さらに買い物の時にも袋はいるので「エコバック」を買わせることができると考えたのである。

ダイオキシンが猛毒であるという誤報。毒性が弱い。

日本社会は一旦ある方向に行くとそれを裏付ける情報しか流れないことになる。

石油がなくなると錯覚した世界が原油の価格を釣り上げた。

新聞を買ったら、他人に新聞を譲ってもらうというより、「他人が触ったものは汚いから敬遠する」という時代。

紙のリサイクル運動は科学的に見て矛盾が多い行為である。

今では「年金なしでは老後を過ごせない」という人がいるが、日本で年金制度が整ったのは1961年で、その時の掛け金は月々100円である。つまり、日本の老人が老後を年金の収入で生活ができるようになったのは、ここ10年のことであるが、今では年金がなければ老後を送れないとも言われている。日本人は日本列島に2000年も生活しているのに、一体老人はどのようにして生きてきたのかと疑問を感じるぐらいである。
 


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やっぱり女性の方が長生きするんですね。

「できそこないの男たち」
男と女は生物学的には平等に生まれるのにもかかわらず、その後に待ち受けている人生に不平等があるから短命になるのか?「男の方が大変だから」もしそうであるなら環境要因が変化すれば、男性に負荷をかける因子さえ除去できれば、男は女と同じくらい長生きできることになるのか。煙草、飲酒、味の濃い食品、仕事のストレス。しかし、どの民族、地域、歴史的にみても男の方が女よりも寿命が短い傾向がある。生物学的に男の方が弱いのである。男性はいろいろなストレスに弱く、様々な干渉を受けやすい。多くの生物種において、雄は遺伝子の運び屋としての役割以上の役割を担ってはいない。

なぜ、この世界を男が支配しているように見えるのだろうか。男達は、女を喜ばせるために野外にでた。食料も珍しいものも余分に得られた時は、こっそりどこか女達が知らない場所に隠した。余剰は徐々に蓄積されていき、いずれ略奪をめぐって闘争が起きた。秩序を守るために男達の間で取り決めがなされ、それが男が世界を支配するものとなるのに時間はそれほど必要はなかった。

長生きするにはどうすればいいか?それは女性に生まれる事。Y染色体という貧乏くじを引いたばかりに、遺伝子の走り役に作り変えられた男達。

男が女に尽くすのは、あの感覚から逃れられないからである。それは男を支配する究極の麻薬だ。それがどうしても欲しくなる。してもしてもまた、した後からその感覚がほしくなる。生殖行為が快感と結びついていること、それは進化プロセスの必然です。人はなぜジェットコースターに熱狂するのだろう。それは似ているからだ。落下する時、人間の身体が受けておる感覚。尿道と輸精管を突き抜け、身体の中心線に沿ってまっすぐに急上昇してくる感覚。より正確に言えば加速度。生まれた赤ちゃんでも一緒。高い高いの高いところがすきなのではなく、落下して加速を味わえるという快感。できそこないの生き物である男達の唯一の生の報償として、射精感が加速覚と結合する事が選ばれたのである。


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自分の利益のために、真実を確かめないで、表面上いいような、平等、優しさ、環境保護などの言葉を出しているリベラル。日常生活でも人に嫌われないような言葉上だけ良い表現を使って、自分を隠している人もいるでしょうね。

「リベラルの攻撃性」

リベラルの実態は、自分だけがよくなりたいと言う人が表向きに言えないことを、優しさ、平等とかを表面に出して、カモフラージュをして自分の懐にお金を入れる。

矛盾があり攻撃性がある。自分が正しいと思い、自分が得したいから、非常に攻撃性が高い。今のトランプ批判をしている人もリベラルで非常に攻撃性が高い。

事実を確認しないで、ヘイトとかテロとかレッテルの言葉を使って激しく攻撃してくる。

攻撃的と言うのは嘘をついており、頭の回転がよく、口がうまく、心がずる賢く、平等や優しさという言葉を出して攻撃してくる。

民主主義といいつつ話し合いを拒んだりしてくる。リベラルの人とは対談できない。途中で話をコロコロ変えてきたり、非常に怒りっぽい。質問に答えてくれない。途中で話を変える。それは辻褄が取れていないから。

自分が儲かりたいと思うなら、儲かりたい、いい生活をしたいと言えばいい。
 


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