知は権力?!

人生の幅を広げるには、人と会うこと。旅をすること。本を読むこと。

カテゴリ: 教養

開発ではよくあることで、これを修正しないとダメなんですよねー。

「人月の神話」

悪い知らせを伝えるのが好きな者などいない。

1日ごとの遅延となると、気づくことも予防することも、さらにはその 分を取り戻すこともより困難になる。

そのグループの中だけでも、最 高と最低の実績比率は生産性にして平均 10 対 1、プログラム開発のスピード と量ではなんと5対1だった。要するに、年間2万ドルのプログラマが年間」 万ドルのプログラマのたぶん 10 倍も生産性が高いのだろう。その逆もまた直 だろう。このデータからは、経験と実績との間に何の相関も見られなかった (これがつねにそうだとは言えないと思うが)。 


人月の神話
富澤昇
丸善出版
2019-04-12




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独学ができる人は伸びますよね。

「「超」独学方」 

「独学は難しい」という思い込みから脱却する

日本人が豊かになってから、「勉強をしたい」という意欲が失われた。ハング リー精神を失ったのである。「勉強しなさい」と言われ続けるいまの日本の子供たちは、あわれだ。

日本が勉強の必要ないユートピアになっているのなら話は別だが、長期的に経済的地位が 下落し、勉強の必要性が非常に高いにもかかわらず、勉強しない。これは悲劇である。 アメリカのような競争社会では、いまでも大学院生が死にもの狂いの勉強をしている。そ れだけの意味があるからだ。 そうしたインセンティブに乏しい日本の社会は問題だ。

「勉強するには学校に通う必要がある」という偏見。多くの人は、次のように信じ込んでいる

だれかにそばにいてもらって、その人に「テレマコスの冒険』を話して聞かせることがで きれば、進歩が早くなると思ったので、私は貧しいユダヤ人を一人、週四フランで雇い、ロ シア語はひとこともわからないその男に、毎晩二時間私のところへこさせてロシア語の朗読 を聞かせた。

つまり、自分1人でやるよりは、人に聞かせれば励みになると言うのだ。「金を払って教えを乞う」のでなく「教えた」のである。これは、勉強を継続するための重要。





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人間の進化がよくわかりましたね。

「「読めなくてもいい本」の読書案内」

フラクタル幾何学を象徴は、二つの規則からできているが、それをひたすら繰り返すとコンピューターは奇型な図形を描く。よく見ると、どの部分を切り取っても全体と同じ形をしているのがわかるだろう。

1、進化の長いタイムスケールを理解できない
2、個体のタイムスケールの違いを錯覚している
3、人を進化の頂点だと考える

犬の寿命は15年前後で、人がせっせと交配という遺伝子組換えをやった結果、わずか数百年でセントバーナードからチワワまで多様に進化した。

子殺しをする猿。子孫ではなく血縁度を最大化する。

男性は節句すするほど子孫を残す可能性が大きくなるのだから、その欲望に限界はない。異なる生殖戦略を持つ男女は、利害関係が一致しないのだ。ゲイとレズビアンのあり方は多く異なっている。ゲイはハッテン場でパートナーを探し、サウナでの乱行を好む。エイズが流行する前にSFで行われた調査では、100人以上のセックスパートナーを経験したと答えたゲイは全体の75%で、そのうち1000人以上との回答が4割近くあった。彼らは、特定の相手と長期の関係を維持せずに、子供を育てることにもほとんど関心を持たない。

それに対してレズビアンのカップルは、パートナーとの関係を大切にし、養子や人工授精で子供を得て家庭を営むことも多い。

糖分、とりわけ脳のエネルギーとなり、栄養を資質として蓄えられる糖は起床で、人も猿も甘いものを見つけると出来るだけ多く食べるように進化してきた。砂糖を美味しく感じるのは、こうした進化のプログラムがあるからだ。

医者が手を洗った方が良いのも発見。統計、ビッグデータで大相撲の八百長を見破る。

脳は簡単に騙される。妄想が一旦固着してしまうと、それに反する証拠がいくらあっても、妄想を正当化するよう捻じ曲げてしまう。

記憶は作り出せる。母親はカルトの一因だったと告白し、本が出版されてから、託児所が実は悪魔崇拝カルトの一員で、預かった子供達に性的な虐待を行なっていたという訴訟が全米で100件以上提訴された。

自己正当化は無意識の下で行われるため、どれほど賢くても自分の嘘に気づくことはできない。

幸福な人は幸福な隣人と、不幸な人は不幸な隣人と付き合う傾向があり、ネットワークの本線に入るほど幸福度が高い。同様に喫煙者でも。

人の一生は限られているから、人生でもっとも貴重な資源は時間だ。学問の世界の既得権を守るために、使い物にならない古臭い理論をアカデミズムの名で押し付けてくる人たちを相手にしている暇はない。

りんごとオレンジをいっぺんに買うことができない以上、どちらかを諦めるしかない。これは当たり前のことだけど、どういう理屈かは知らないが、りんごとオレンジを両方手に入れることが「正義」だと信じていたとしよう。ところがそれぞれ100円の値段がつけられていることで、この正義を実現できない。意識の役割は自己正当化だという話を思い出してほしい。

1、非合理性 ポケットには100円しかないけど、200円のものが買えるはずだ。
2、ユートピア志向 100円で200円のものが買えるせ世界がどこかにあるはずだ。
3、他罰性 100円のものを200円で売る果物屋は間違っている。

人はなぜこれほど正義に夢中になるのか。脳の画像を投影すると、復習や報復を考えるときに活性化する部位は、快楽を感じる部位と極めて近いのだ。復習がなぜにセックスと同じ快楽になるのか。その理由は簡単で、せっかく手に入れた獲物を仲間に奪われて反撃しないようなお人好しは、とうの昔に淘汰され絶滅してしまったからだ。

ネットのこんな不正は許せないという話は人はものすごく敏感だ。不道徳な政治家や芸能人、犯罪容疑者を夢中になってバッシングするのは、別に社会に貢献しようと思っているのではなく、単に面白いからなのだ。

臓器提供自体に反対する人たちは、オプトアウトが伝統を壊し、社会に影響を与えると主張するかもしれない。


一旦手にしたものを失うことはものすごく抵抗するけど、最初から手に入らなかったものはすぐに諦める。

男や女という性別を前提とすること自体がおかしいということになる。男は男らしくあってはならないし、女は女らしくあってはならないのだ。男の子を男らしく、女の子を女らしく育ててはいけないのなら、それは人間ではなくなってしまう。男の子は自尊心を傷つけられ、女の子とどのように付き合えばいいかわからなくなり、恋愛も結婚もしなくなるだろう。

大学教員の仕事は、教養という権威を金銭に変えることで、ほとんどの文系の大学は彼らの生活のために存在している。その現実が明らかになるにつれて、風当たりが強くなってきたのは当たり前だ。

人は偉くなるほど、自らの内なる権力から目を背け、外に敵を作って善意を隠蔽しようとする。





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堀江さんが作られたゼロ高かなり面白そうですね!

「将来の夢なんて今叶えろ」


テストに強いが、本当の意味で大事な、人としての豊かな知性を養えているだろうか?
プログラミングを、わざわざ義務教育で、下手な教師が教える必要はないのではないか。

大人をバカにするのも若さの特権だが、本当の若者の特権とは、若さと大胆さを利用して、大人から情報をうまくいただくことだ。

 やみくもに貯金額を増やすより、その時に得られる出会い、興奮や体験を積み重ねることの方が、はるかに大事なのだ。

 誰かの長所の使い方を真似るのは難しい。いいとこだけ真似して、自分だけが使える勝ちパターンを組み立てることだ。





私は学生の頃、桜井章一さんの漫画も全巻買って読んだり、ドラマも見ましたね。リスクを恐れず、相場師として生き抜く、男のロマンですね。

「「強さ」の奥義」

洋服屋に入ったら見るからにヤクザって野郎が店の奥に座ってコーヒーすすっていたよ。みんなはどうするよ、こういう場面。近づかないようにしようとか、強くなって逃げるんじゃねえのか。俺は、逃げない。近くに座ってやる。すると向こうはこう考える。普通は不安がって避けて逃げようとするのに、こいつ不安がね、何者だと逆に不安を持つ。だからそいつ、コーヒー半分残して帰って行った。俺は不安とか怖さ、トラブルってものが好きなんだ。皆さんは、そういう場面だと逃げるでしょう。だけど俺はトラブルに飛び込んで行くからね。何事にも俺は一体感を求める。相手が自然であれ、ヤクザであれ、一体化して自分から入り込みひたっちゃうんだよ。子供と遊ぶ時にも、子供と一体感を求めてひたっちゃう。ところが、みんなひたれないだろう。子供の方が大人と遊ぶことに飽きちゃう。

同じ信頼でも他人に信じられたいっていう信頼が多いだろう。これじゃだめだ。他人によく見せようとか、他人の前だけ頑張ろうとか、そうやって得ようとする信頼は何の意味もない。人に見せかけるために着飾っても自信は生まれないぜ。そんなのは会社とか仕事とかいう洋服を脱いだら自信がなくなるだろうよ。他人の力、他人の金、人の愛を期待して生きているやつに自信がモテるはずがねえだろう。人に依存している限り、その人がいなくなったら、どうするよ。人間は一人じゃ生きていけないよな。ふれあいが大切。ただし、勘違いするな。人と触れ合うことと、人を利用するってことは全く意味が違うこと。今の社会は、人や何かを利用したりたかったりする関係で成り立っているだろう。金の切れ目が縁の切れ目、だから互いに不安で、互いに自信がもてねえじゃないか。

男女の関係においても同じだろう。裏切りなんて考える奴は、人の愛にぶらさがっていただけだろうよ。余裕のあるやつには人が自然と集まってくるって。

常に厳しさを自ら選択していくことでしか、自身は生まれない。二つの道があるとすれば、常に厳しさを求めろ。甘いものばかりを選択するものは、やはり依存的体質だろうよ。

大事なのは、柔軟性だ。人との約束については俺は徹底的に守る。だからこそ、普段は自由にしているんだよ。人との約束を破るやつほど、硬い規則で自分を縛る。自分は12時に寝るから、組らとは突きあえなんて平然としている。本当の自身のあるところには、必ず柔軟せがあるものだ。

人に優しく、思いやりを持て、感情を豊かにしろ、これはみんな子供の頃に教わった単純な基本だ。それを大切にしているやつには、”自然な自信”というものが身についているね。

登山家のラインホルト ヘスナーは8000メートルの山を無酸素で登ってしまうという超人。ロッククライミングの時すら彼らは最低限の道具しか使わず、命綱ロープスラ持たないというだ。本当の意味での命がけというんだよ。実は、我々も彼らと同じ能力は持っているはずだよね。それができないのはなぜか。便利さに埋もれているからだろうな。車という便利なものに頼れば足腰が弱くなるように人工的なものに頼りすぎて本来持っていた能力を失っちゃったわけだ。

やることやって貧乏であることが最高にかっこいい生き方だってこと

勝たずとも男を立てるという考え方だ。俺が10人に喧嘩するじゃねか。10人の悪党が一人の弱い奴をいじめているという場に遭遇したら、俺は勝とうが負けようが、ボコボコに殴られ、骨をおられ、血みどろになっても俺は戦いに臨んでいくよ。負けるに決まってるよ。損か得かを考えれば、明らかにそんだ。それでも俺が戦うのは、「男が立つ」という一点にこだわるからだ。生きていく上での大事な「男」を守るために俺は戦うのよ。男の強さとは、損得の計算、合理的な考えを捨て、どれだけ「小」に分け与えることができるかということに尽きる。

俺は雀鬼会にやってくる若い衆、弱った子たちを絶対に見捨てない。「小」を見捨てないことが「愛」であり、「大」に振り向くのは「欲」ってんだろう。

女房、子供のこと、若い彼女のこと、親、友達、すべての人間関係を含めて考えることが”愛”なんだ。一方”恋”というのは好き嫌い。身勝手なんもさ。

俺は麻雀で金という欲を満足し、女性で色ごとも叶えることができたのだから、男冥利に尽きるよね。で、あんたもそうなりたんだろう。ところがよ、そうは問屋がおろさないぜ。

男を磨けば根性だけじゃねえよ。男の色気も出てくるし、包容力、優しさ、上司だけじゃなく女の子が喜ぶものもいっぱいついてくるぜ。

女性が母親だけ、あるいはキャリアウーマンだけの役割しかなかったら、色気のない釈迦になるね。そして今の時代、女っぽい色気のある女性が少なくなったように、男っぽい香りを発する男もいなくなった。それが少子化現象、高齢化社会の原因の一つだね。

男の価値は強さになる。獲物を狩るだけの強さ、勇気、根気が必要。頭がいい、金がある、大企業に勤めているという価値観だけでオスを選択したら、いかに医療が発達しても精神の歪んだ弱い人間がはびこってしまうわけだ。

損得計算にたけた生活をしていると、人のことでわざわざ出向くのはそんだと考えるじゃねえのかい。リスクを極力避けて通るような生き様だよな。最近、こういう輩が多いだろう。自分が明らかに損をするだろうと思われることについては、絶対に手を出さない。だけど、儲かる話ならどんな努力も苦労もいとわないてな輩だよ。リスクを避ける生活に慣れてしまうと、病につながるぜ。損することがわかっていてもやらなきゃいけないと走り回る人間には、お互い様よ、という感情が生まれ、そこから義理、人情という熱い男として認められるわけだろう。俺たちの世代にはまだそういう感覚があったね。

損得勘定ばかりやっているバカ親がいる。この子を育てて塾に通わせて良い学校へ入学してもらい、大企業で出世させて、楽させてもらうとかよ、計算するするじゃねえか。その瞬間から愛がなくなってしまうわ。その結果、子供は愛に飢え、勇気を持てずに大人になり、リスクを避けて通るやつになっちまうんだ。

リスクを追うということは、自分のほうとうの姿を知るってことになるんだぜ。大事なことは痛みをするってことだ。自分の強さを知れば相手の痛みだって想像もつき理解できる。それが本当の強さを持った優しさに繋がっていく。だからリスクは買ってでも背負えってわけだ。

自然の中にある本能の世界とは、それほど厳しさの中にあるってことを、今の男忘れてしまっているね。自然に近づくことでしか、本能は蘇らせることはできないぜ。ところが、現代人は逆に自然から離れようとしているだろう。例えば、長生き、健康、何もかもよりよくなろうと考えているじゃねえか。これはね、薬と一緒で必ず副作用が起きるし、後遺症が残る。

今や結婚でも恋愛でも相手が財産もちか、と考えてやるから間違え、離婚がやたらに多くなるのは当たり前だ。愛なんてのは、感じることだろう。考えるもんじゃねえっての。だから考えるな、感じろと指導しているんだ。楽しみながら感性を磨いていけば、お互い位に関心を持てるし、愛を持って人と付き合うことができる。

そこらへんに落ちている気に入った石ころやら木の枝なんか思いつくままにポケットに突っ込む。自然のエネルギーをもらうんだよ。長い時間人間に触れず、風邪や水、純粋な自然の中にあったものには、自然のエネルギーとリズムが宿っているからね。人が作ったお守りなんか持たない。少しでも自然のものを身につけることで、感覚も研ぎ澄まされ直感がさえる。

人口のもの中の生活では、鋭感な直観力も、流れを味方にする自然のリズムも身につかないぜ。当然勝負に強くなることなんかできないと断言するよ。人間が作ったものはみんなダメかって?そんなことはない。大量生産で生み出された商品には魂は宿っていなが、一人前の職人さんが作ったもの、器だとか角田とか、そういうものは確かに魂が込められた代物だった。ものと人、ものと心がしっかりと繋がっていたよ。

本当に強い人には寄ってくるんだよ。安心なんだ。動物だって人間だって。そうだろう。

男は一歩外に出れば7人の敵がいるというじゃねえか。ってことは1日に7個は自分にとって嫌だなと思えることが起こる。そこを逃げずに勝負してみろよ。そうすれば強くなれるに決まっている。嫌なことから逃げちゃ、強い男にはなれないよ。

日本よりはるかに貧しい国へ行くとしっかり生活している人々と出会うはずだ。朝起きた時から生活をしなければならないということを肌身で感じるはずだよ。日本には生活感が全くないだろう。君の場合は特に生きるというより生かされている生活をしているに過ぎないんじゃないの?

男なのに男を感じさせないやつ、女なのに女らしい女を最近見ないよ。一応は生活はしていても本当に生きて活動している生活感のある人間がいない。

世間が売り込むと行ったのは、やれダイエットだ、やれ健康食品だ、栄養剤だ、人間ドックだと脅迫的に押し寄せてくるからさ。あれをいちいち気にしてたら、本当に病気になっちまうよ。不安を煽って金儲けをするのが健康産業、宗教産業、保険屋、いずれも文明のあだ花だろうな。それに比べると「おふくろの味」というのはあったかいんだよね。だから同じ食べ物でも気持ちのこもっているものを食べろということだよ。

一流有名大学を出た上層部のエリートと言われる連中は、今の世の中生き残るために悪党の手段を用いる。それが常識になり、ズル賢い手段をとる人間が高いと評価するのが、君らの生きる世界なんだよ。仕事ができるなんていうやつは、「俺は悪党だよ」と言っているようなもんだし、大企業の看板やらブランドも、「悪党企業ですよ」と世間に言っているようなもんだ。正当な仕事はそんなに稼げないものだ。

約束の守れる正直な男になれ。それが人間社会のおきてだよ。


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