知は権力?!

人生の幅を広げるには、人と会うこと。旅をすること。本を読むこと。

カテゴリ: スポーツ

行政の話が詳しく書かれている本です。サッカーなどのスポーツ事業をやってみたい方で、法律関係を学びたい方には良いかと思います。

「地域スポーツクラブのマネジメント」

日本では集まりにくい寄付金、補助金。しかし、本当に日本には寄付文化がないのでしょうか?日本には祭りという伝統的な行事があります。これは地域の人々が集まり、お金を出し合って何百年も続いている地域の伝統行事です。これこそが、日本における寄付文化だと言えるのではないでしょうか。

バブル経済崩壊後の日本スポーツ界は、企業主導型スポーツにとっていわば暗黒の時代となりました。これは、今もなお状況としてあまり変わっていません。

ユニフォームを希望する人にだけ販売する、不特定多数の人に販売するということであれば、いくら名目が入会金であってもユニフォーム販売部分に関しては、課税対象となるでしょう。

チラシの配布は好きな場所で好きな時間に勝手に行ってもいいとうものではありません。クラブへの勧誘を目的としてチラシを駅前や道路等で配布する場合は、原則、道路使用許可を取る必要があります。

指導者も心肺蘇生に関する知識と技術を身につけ、救助に当たれるよう努力する必要があります。

親権者の同意を得た場合に限り、スポーツ活動中は親権者の叱る権利を譲り受けることができると考えることができます。ですから、スポーツ指導者も必要があれば、指導者に子供たちを叱ることができるのです。ただし、この叱る権利には体罰を加えることは絶対にできません。

競技を引退した選手の多くは指導者となることを希望することがいいようです。そのほか解説者やタレントなどの道を進む人もいますが、これはほんの一握りの選手しかなることができません。そして、指導者を希望する者の人数に対して指導者として生計を立てられる環境があまりにも少ないのが現状です。選手のセカンドキャリアを考える歳、まずは生計を立てられるかどうかが重要なポイントです。

もう一つ指導者として生計を立てられるケースとして教員があります。しかし、教員になることが難しい時代です。教員となればスポーツ指導者とはまた違った苦労があるのです。

私たちは、国がこれだけの時間とお金を使って地域スポーツ文化のきっかけを作ってくれたことに感謝しなければいけないのではないか。国の借金が800兆円ある現状を踏まえれば、これ以上スポーツだけが国からのお金を期待しているわけにはいきません。今後は、自分たちの手でこの地域スポーツ文化を継続、発展させていかなければならないのです。


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確かに日本の子供な「なんとなく」とか「友達がやっているから」という発言は多そうですね。

「「言語技術」が日本のサッカーを変える」

「イタリアの選手が退場させられて選手が一人減ってしまったその時、イタリアの選手たちは、誰一人としてベンチを見なかった」お互いに指示を出し合い、発生した問題を解決して言った。ピッチの選手が「ベンチを見ない」決定する「力」を持っていたことの「明石でした」究極の状況下で、自らが考えて判断を下す「自己決定力」。その力を備えていない限り、世界で通用するサッカー選手になることはできない。では果たして、日本の選手たちはどうでしょう?

日本の若い選手たちの育成でU17ではゲームフリーズという方法があります。ゲームをストップさせプレーの確認をする。日本の選手は、黙って私の目を見る子供が実に多いのです。私の言おうとしている答えを探し出そうとしているようにしか見えません。自分自身で答えを探すことよりも、私の回答を求める様子がありありと見えるのです。一方ドイツの子供は、自分の糸を他者に伝えようと努力する。ドイツと日本の練習風景を比べて見た時、まずはっきりとした違いとして私の目に映ったのは、「自分の考えを言葉にする表現力」でした。

日本の子どたちに「サッカーを好きな理由は?」と質問すると「なんとなく」「友達がやっていたから」と言った断片的な言葉を答えて終わらせてしまう子供が多いのではないでしょうか。

日本人は、自分が考えていることを言葉に出して明確に表現するということが身についていない。「ただなんとなく」「曖昧なまま」行動し、それで納得している。日常生活では、それで済ませてしまっているケースもたくさんあることでしょう。両親に対して「別に」とか「微妙」とかで受け答えしていること自体が問題なのです。子供達は自分の意思を他人に伝えることができなくなってしまうのです。伝えるこはおろか、意志を持つことさせできなくなり、やがてその状態で平気になってしまうのです。

「論理」を求められると、一つの正解だけを探し求めようとしてしまう点です。他人の色々な意見を聞いたり、別な考え方を知ったり、議論をしたりという機会がとても少ない。答えは一つしかないと思い込んでいる。間違ったことを言うのを恐れ、恥ずかしがる気持ちがとても強い。答えは一つしか許されない、と言う空気は、問題を様々な角度から論理的に考えていく豊かなプロセスを否定することに繋がりはしないでしょうか。

授業で質問を投げかけて時、日本の子供達は、シーンと静まり返る。なぜなら、学校というところは「間違っていはいけない」場所だという考え方が、心の中に染み付いてしまっているからです。だから子供達は、なかなか「自分の考えを表現する」というリスクを冒そうとしません。

まず「たくさんの人と一緒に訓練すること」一人で考えているだけでは、一つの意見しか出てきません。多くの人間が一堂に会して、それぞれの立場や味方やその時の状況から見た意見を出し合うこと。そのことが「言語技術」を育てていくための第一ステップです。

最終選考の段階で何を基準にするかというと「賢いかどうか」なのだそうです。賢い子供は、当然ですが学習能力が高い。その高さが、サッカーを上手にしていく、というのです。

アメリカやオーストラリアやイギリスでは勉強しかできない子供が評価されることはありません。スポーツ選手として一流の道を歩んでいる子供は、フィジカルで強いばかりではなく、同時に勉強もできる、と認知されています。日本のサッカー界も、これからは、「考えない選手」「自分で判断できないもの」は、サッカー選手として選ばれなくなってくる時代に入ってきています。

察しの悪い「大人」を演じる。子供が何と言おうとしているのか、子供が何を要求しているのか、わかっていても子供がそれらを言葉にする前に大人が先回りして代弁するのはやめましょう。子供が大人に対してなんらかの要求を待っているように見える時、大人は辛抱強く察しの悪いふりをし、子供が自分考えを言葉に置き換える機会を与えてあげましょう。

考える子供を育てるためには、子供が「知らない」を持ち出した時に、大人はしっかりと対抗しましょう。

鳴り物入りでプロチームに入っても、大怪我をしてすぐにクビになってしまった選手をいっぱい見てきている。ドイツの子供達の多くは、職業資格を取得してからプロ選手になります。またプロのクラブの方も、そうした選択をするように奨めています。

サッカーは子供を大人にし、大人を紳士にする。

中田英寿も、自分の意見や主張をはっきりともち、言語化していた。海外で通用する言葉を持っていたのです。海外へ行けば、自分の考えを持っていない選手、語らない選手なんて存在感ゼロ。

将来プロになれなかったとしても嘆く必要はないし、自分のやってきたことに対して後ろめたい気持ちを持つ必要もない。他人のせいにしたり、何か他のもののせいにするのではなく、自分で責任を持って判断することが大切です。自分で決めたことは自分の責任でやるのだ、という意識が大切なのです。

学ぶことをやめたら、教えることをやめなければならない。

名監督と言われる人の言葉には、不思議な力があります。この人のいうことを聞けば、「うまくやれるぞ」と思わせる力です。監督はそうした説得力のある話し方を身につけていなければなりません。言葉を厳選し、ある時にはわざと少ない言葉に止めるとか、あえてたくさん言葉にするとか。状況や相手によって、語り口を変えていく。演出をする。その意味ではまさに、舞台上の俳優のような面があります。声が小さくてもダメです。前置きが長すぎてもダメ。せっかくいいアイディアを持っていても、相手に伝わなライトしたら、能力がないのと一緒です。

中村俊輔はあんなにすごいパスを出せるのでしょうか。実は、失敗をたくさんしているからです。このタイミングだったら通るとか、通らないとか、トライ&エラーをしているのです。失敗を恐れては行けません。16歳をすぎると世界大会があって、失敗は許されなくなってきます。失敗したら即負けという世界です。そのためにも、草サッカーなどの場で、失敗をたくさんして経験を積んだ方が良いのです。ここで失敗したから、次はこういう風に勝て見ようなどと、フィードバックしていくことが大切なのです。

日本にかけているのは、彼らが抱いているような、「プロサッカー選手になるんだ」といった純粋な「夢」ではないでしょうか。ならば、そんな「夢」を実現させていく可能性のある環境を整えて上げることが、大人たちの使命ではないでしょうか。


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日本の練習は、練習のための練習で、サッカーのための練習ではないことが多いかもしれませんね。

「テクニックはあるが「サッカー」が下手な日本人」

第一印象は「日本人のテクニックやスピードは素晴らしい」。しかし、第二印象は「日本人はテクニックやスピードは素晴らしいがサッカーは下手」というものに変化していってしまいます。日本人のテクニックは伸びている。スピードも向上している。サッカーの部分部分はレベルアップしている。しかし、どうやら日本人は「サッカーそのものは下手なまま」のようです。

日本と同じような”軽いフィジカルを避ける”プレースタイルで練習に参加したら、大間違いでした。練習では危険なフィジカルコンタクトは避けるという暗黙の了解は彼らには存在しないようで、練習でもガンガンぶつかってきます。日本では考えられないような激しさで背後からぶつかられた。足をかられるような危険なスライディングタックルはしょっちゅう。”戦えるかどうか”を重視している。翻って、日本のサッカーは激しいフィジカルコンタクトが少ないようです。特に、ユース以下の育成年代ではその傾向が顕著です。国際隊では「当たり負けした」というコメントが良き聞かれます。普段からそういった激しいプレーに慣れていないのですから当然です。ブラジル人は遊びでサッカーをする際にも、本気になり激しく当たってくるので、もし日本人が彼らと遊んだら「遊びなのになんであいつらはあんなにムキになっているんだ?」と違和感を覚えると思います。日本人は、ついロナウジーニョの華麗なテクニックやメッシの素早いドリブルなどにばかり目を奪われ過ぎている。kレイナサッカーをすると思われているスペインでさえ「サッカー=勝負=戦い」というポイントが最も重要視されていることを再認識し、日本人は「サッカーで最も大切なものは?」ということを考え直す必要があると思います。

ジーコ監督が「敗因はフィジカルだ」というコメントは、決して「フィジカルトレーニングにもっと励め」ということではなく、「日本人よ、フィジカルコンタクトの激しいプレーを習慣化せよ」ということなのかもしれません。

「チーム戦術を構築する過程でテクニックは勝手に伸びる」「テクニックを伸ばしてもその過程でチーム戦術は伸びないが、その逆は可能だ」

バルサの保護者と仲良くすると無意識のうちにその子供をひいきしてしまうことも。このような選手の保護者の危険性を熟知しているクラブチームは、コーチングスタッフに「選手の保護者との接触は極力避けるように」という通達を出しているところが多いです。また「選手の保護者から文句を言われた場合には、そういう話はテクニカルディレクターと話してくださいと返答しろ」という通達を出し、保護者といざこざがあった場合は、現場の指導者が担当するのではなくテクニカルディレクターがクッション役を務めるように決めているクラブもあります。

アフェイでの戦いを意識する子供とコーチ。審判も相手よりの笛を吹く可能性が十分あるから、その部分も気をつけろ。「アフェイでのこの緊迫した接戦を買った直後に、敵の気持ちを逆なでするように彼らの目の前でのん気にストレッチをしてどうする。やりたければ更衣室の中でやれ」と指摘され、選手よりも実は監督の僕の方がアフェイ戦の戦い方を知らなかったことを気付かされました。

スペインの子供達がこのように立派にインタビューに答えられるのは、スペインでは自分お意見を持つということが常に求められることも影響しているでしょうし、理論的に試合を振り返る習慣がついていることも影響していると思います。

”サッカーの本質”から遠ざかったトレーニング”ばかり”していては本末転倒です。

ミスキッックでもゴールはゴール。強くければいいってものでもない。重要なのはタイミング。早く走ればいいってものではない。相手も適応してくる。適応の連続。適切な状況判断を伴わないテクニックは意味のないテクニック。

相手が状況に応じて適応してくることを考慮せずにプレーすることの習慣化、状況判断を伴わない個人プレーの習慣化。習慣化されてしまったら、いくらテクニクがあっても、いくら足が速くても、いくら戦術眼があっても、サッカーが下手そうですよね。サッカーの本質がきちんと習慣化されるようなトレーニングを日々行うことがとても大切なのではないでしょうか。

「サッカーは楽しい。けど、練習はつまらない」という現象が起こるのは、大切な何かが従来のサッカーのトレーニングの中で失われてしまったからではないでしょうか。

攻撃を改善したければ守備を改善せよ。その逆も然り。

戦術的な負荷を上げたり下げたりすれば、技術的難易度、体力的負荷、精神的負荷の全てが芋づる式に上がったり下がったりする。例えば、ゲーム形式の練習メニューを行う場合、人数を増やせばその分プレーの選択肢は増えるので、戦術的負荷は上がりますし、逆に人数を減らせば、戦術的負荷は下がります。コートを広くすればスペースが生まれ、戦術的負荷は下がり、逆にコートを狭めれば戦術的負荷は上がります。

想定外の出来事を想定外のままにせず、具体的な対策案を絞り、それを習慣化させることによって想定外を想定内にする。「予定通りの攻めができない時の対策」「足が止まった時の対策」「うまくぱすが回せない時の対策」「負けている時の対策」

日本では「結果にはこだわらずにないようにこだわる」場合が多い。サッカーに含まれる”勝負にこだわる”という要素も連取メニューにも常に勝負にこだわる形でトレーニングすることが大切だと思います。

「練習は嘘をつかない」
 

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今は、怒られ役になると思ってキャプテンをやりたがらない子が多いのですね。

「サッカーで一番大切な「あたりまえ」のこと」

技術っていうのはポゼッション能力のことじゃない。強い相手を倒すのが技術なんです。

「サポート」という言葉は誤解されている。サポートしろと言われると、みんなボールの近くに群がってしまう。そうすると、狭いエリアに人がたくさんいすぎて渋滞が発生します。ボールから遠ざかることによって、布陣に奥行きや幅を生みバランスを保つ。これだって立派な「サポート」

「回させる」「持たせる」数字の上でのポゼッション率は攻撃側が高くても、展開の主導権は守備側が握っている。

数的同数でもポジショニング次第で優位に立てる。数的優位に立てた方が試合の主導権を握れる。

逆サイドを捨てる。このようにギャップポジションをとることで、数的同数でも優位な状況へと持込める。

現状を変えることに対しても怖がる。それでよくならなかったらどうしようと恐れて、今の状態を維持したい。悪いところをよくさせようとしてそこにずっと集中すると、良いところも全て消えてしまうようだ。ミスせず無難にこなすだけでアイデンティティーがない。そういう選手はプロ選手には慣れないですね。

ドリブルを禁止する。逆にパスを禁止したケースもある。

どんな指導者にも最終的に一番必要とされるのは、戦わせる力。それをもっている監督にならないと、本当の監督にはならないんじゃないかと思います。

指導者はテクニカルエリアからゲームを見ているから、ピッチは横向きに見えている。横向きに見た状態で、相手とのマッチアップを見て、考えていますよね。でも、プレー中の選手たちの視点に立てば、ピッチは立て向きなんです。自陣から相手陣地へと、前に前にせめていく。敵は前からやってくる。戦術ボートの向きは縦。

キャプテンとは何をする人かということがわかっていない状態で、やりたくないと言ったりやりたいと言ったりする。キャプテンというのは怒られる人だと思っている子は、周りがうまくいかない時に責任を取らなきゃいけないからいやだ、面倒臭いと言う。逆に、キャプテンは試合の時に腕章をまき、コイントスで陣地を決め、号令をかけて挨拶させる人だと思っている選手は、キャプテンをやりたいと言う。でもキャプテンは大黒柱時にならなきゃいけない。僕にとっては、もう一人の監督です。僕の頭になり、ハートになり、声になって、指示してもらいたい。チームを励まし、ぱっぱをかけてもらいたい。それがキャプテンなんです。だからこの子はサッカーが上手いからとかこの子は性格がいいからと行って、僕が決めたところで、その子が優秀なキャプテンになれるわけじゃない。

伸び悩んだ選手には、プレーをさせません。休ませるんです。選手と監督それぞれの立場で観察して見なさいと。悩まなくていいと。そうして、何日間か経つうちに、彼はボールを蹴りたくなる。そうなった時に、プレーさせる。「蹴りたくなったらいいなさい」と伝えておいて。スランプに陥る選手は、問題点ばかり見すぎて行き詰まる。


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国見の選手は、本当にきつい走りを3年間こなしているので、マラソン選手並みに持久力ありますからね。国見の選手はものすごい精神力なんだと思います。

「国見発 サッカーで「人」を育てる」

みんなと同じ練習をしていては、みんなと同じレベルにしかならない。みんなが1やるなら、その2倍、3倍練習しろ。

生徒からは「厳しい」と悪評でしたが、生徒に嫌われるくらいでないと指導者は務まらんと思っていたほどです。

国見の選手の測定データーを分析して見たら、組みにの選手には短距離選手と同じようにスピードとパワーがあり、さらにマラソンランナーのような持久力があると証明されました。

全国の高校生だけではなく、大学生とも、Jリーグのサテライトとも試合をしてもらいます。技術が足りないと自分のチームの欠点にも気づきます。

補欠にも入れなかった選手が事業をして7店舗に拡大。3年間、苦しい思いをして練習をしてきたことは、確実に心と体を鍛えている。絶対、無駄にはなりません。大切なことは目標に挑戦すること。人生にも三回はチャンスがあるから、自分を磨き続けることです。その時に準備ができていれば、大輪の花が咲きます。

プレーは叱らない。サボったら厳しく叱る。サッカー部のルールとしての集合時間を守らない、やるべきことをしないと言う選手にも厳しいペナルティをかします。

選手の調子が悪い時は、ピッチ外に原因がある。両親の不仲や離婚、父親のリストラ。子供が集中力をなくすのは、家庭生活のリズムの乱れに原因があることも多い。

主将を経験しましたが、色々な性格の人をまとめてチームを一つにすることには難しさを感じましたが、その経験は後の人生でも色々な場面で生かされていると思います。

選手にはあまり細かく教えすぎない。「こう言うところが足りない」と指摘したら、「一から3までは教えた。後の四から10は自分の頭で考えて、自分で這い上がってこいよ」

選手には、ビデオの試合全部ではなく5分から10分のダイジェストを編集して見せる。このビデオ編集には10時間くらいかかるので、前日の夜中の12ぐらいまで作業しています。2時をすぎてしまったこともありました。このビデオの準備など、大会にまつわる仕事は、毎年Cチームの生徒が手分けして動きます。みんな文句ひとつ言わず、チームのために働いてくれるのは本当にありがたいことです。大会に出場しているレギュラー選手には、「大会で選手が活躍できる周りには、何十人もの人が汗をかいている」と言っています。

今回の優勝で、君たちは自分自身に自信を持っていい。だが、謙虚になってほしい。舞い上がって、バカな人間にだけはなるな。考えて見てください。たかが高校日本一になったくらいで、周囲からちやほやされて、「褒めてくれるのが当たり前」と思い始めると、親も子供も将来を失います。こう言っているにもかかわらず、私の教え子でも人生の通過点で抜け殻のようになってしまった人が何人もいました。日本一のチームになったと言うときこそ、自分に厳しく、謙虚に生きていく姿勢を大切にしなければ、さらなる人生の大輪の花を咲かせることはできません。

「例えば優勝すると、親がバカになる」

人間にはバイオリズムがあるように、調子のいい時もあれば、悪い時もあります。人生にも波がある。ただし、低迷期に諦めてはいけないのです。

すごい指導者は、情熱とカリスマ性を持っている。魅力的な人物ばかりです。「あの人の元で、生きてみたい」と、全国どこからでも人が集まってきます。

普通のことをしていては、普通のことしかできない。人の考えないようなことをしなけレバ、人の上に立つことはできない。

人間教育のできない指導者は二流。

「組みは国見高校でサッカー部に入ってもレギュラーになれないよ。うちに来ないか?」と誘う人がいるそうです。大人の一言で、子供の夢を潰すな。うちの高校でレギュラーになれるかどうかは、本人の3年間の努力次第です。子供にはいつでも目標や夢、チャレンジ精神を持たせるような指導をしたいと思います。

本当にサッカーの力があれば、大学生指定強化選手としてJリーグでプレーできます。このシステムはサッカー界にしかないものです。Jリーグに行かなければ力が伸びないとは思いません。

いい指導者の共通点は表現力があること。ちょっとした話でも、ことわざや何かからの引用をうまく使って説明しています。心に残る表現をする人が多いですね。小嶺センセは、結婚式でもお酒の席でも「これは指導するときに使える」と思った表現に出会うと、すぐにめをに書き付けています。

親が懸命に働く姿こそ「最高の教育」

スポーツ教育はビジネスでも役立つ。上手くなるためには、教えてもらうのではない。自分で考えて、自分で行動する。そして、努力することが大切だ。小嶺監督の教え子が何人かいるが、相手から何かを言われる前に察知して動き出せるという共通点があります。上司が一つ一つ指示する必要がなく、しかも愚痴も言わずに黙々と仕事している。私が銀行に勤めた経験もありますが、部下の態度の違いを明白に感じます。サッカーだけ強くても長続きしない。たまたま一回優勝するかもしれないが、人生の優勝はできない。

挨拶と返事ができない人は、非行に走る確率も高いと言えそうです。

いかに生徒を惹きつけるか。

指示待ち人間が多くなったのは、私たち周囲の大人の責任です。親が何でもかんでもやってしまったり、周囲が一から10まで教えてしまうので、子供は考える必要がなくなるからです。

3年間、得意なことに打ち込んだ人は自信をもって人生を歩ける。

「どうして、何度も何度も踏み倒すの」「麦は小さい頃何度も踏んでおけば、どんな台風が来ても倒れないほど強くなるんだよ。人間も同じ。若いうちに苦労するといい」


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