知は権力?!

人生の幅を広げるには、人と会うこと。旅をすること。本を読むこと。

カテゴリ: 哲学


「捨て本」

今持っているモノにまつわる、人間関係や安心感に、見捨てられるのが怖いだけなんじゃないか。
お金で買えるものに時間と資金を投じるのは無意味だと、僕は早くに気づいてしまった。

喜びはモノを所有しなくても満たせる。逆にうまく手放して行ければ、本当に欲しいものへと手を伸ばすことができる。

相手の利益になることを提案して、自分の時間を有効に使う方法を、小学高時代から工夫していたいも言える。

好きなことをやり続けていると、特に作ろうと努力しなくても、勝手に友達はできるのだ。

好きなように暮らしているうちに、不要になった友達や恋人は去っていき、欲しいタイミングで、面白い出会いがある。孤独に悩んでいる人は、きっと性格の問題ではなく、やりたいこと不足なのだと思う。友達なんかいなくていいよ、と言うぐらい好きなものにハマれば、自然にいい友達はできるのだ。

最初は誰だって、親や先生が正しいことを言っていると信じ込む。でも、知識を得たり思考を深めていくと、だんだん「こいつはおかしなことを言ってるよね?」と気づいていくものだ。

借金は悪いことではない。前向きな借金は進んでしてもいいと言う考えを培った。やりたいことを先延ばしにする時間の浪費の方が、勿体無い。

捨てることに踏ん切りをつけられず、現状に囚われたまま、新しい世界へ飛び出していくことはできない。まとわりついたものを切り捨て、堂々と「見送られる側」の人生を行こう。

創業社長が「社員はみんな家族だ」「助け合い、一丸となって頑張っていこう!」とスローガンを掲げている。それは違うよなぁと思う。気持ちが悪いとさえ思う。

ライフスタイルや経済状態、その時の住みたい街などの気分次第でフレキシブルに移動できる。賃貸アパートの方が絶対に有利だ。

かつて儲けまくった僕は痛感した。この国ではお金を儲けると損をする。

思い出を捨てられない人は暇なだけだ。場所は愚か時間まで取られてタチが悪すぎる。

「今やめたら損をする」と、どこかで思っているんじゃないだろうか?つまり損切りにためらっている状態だ。こんなにつらい修行を続けたのに、途中で放り投げたら、もったないと思い込んでいる。仕事を捨てたいのに捨てられない時は、一度自問をして欲しい。


日本人は本当に疑わない人が多いですからね。

「疑う力」

子供を自分の所有物と勘違いし、暴走しまくるバカ親が多すぎる。もっと楽に子育てする方法はいくらでもある。柔軟に思考せよ。

物事の「本質」を見抜けなければ死ぬまで搾取され続ける

キャッシュレスなら人手不足も解消できる。レジに現金があれば、不届きものの店員によるネコババのリスクもあるし、強盗にあう可能性だってある。閉店後に現金をカウントしたりお釣りを補充したり、レジ締め作業にかかる作業もバカにならない。

日本は出稼ぎ先として選ばれなくなりつつある。中国や韓国、香港やシンガポールなど、移民にとって魅力のある国は他にいくらでもあるのだ。移民が来たら困ると怯えている人は、未だ日本が豊かだと錯覚しているのだろうが、世界各国と比較して、日本は貧しくなりつつある。日本の物価は安いとみられているし、労働者からは「時給が安すぎるが、短期的な出稼ぎと割り切って働いてやろう」くらいに思われている。

介護士や保育士は、誰でもできる仕事だ。レア度が低い仕事に、高いギャラが支払われないのは当たり前だ。3K労働のわりに給料が安すぎることに納得が行かないのなら、そんな仕事はすっぱりやめるべきだ。職業選択の自由という権利を行使して、ブラック労働の経営者に一泡吹かせてやればいい。
奴隷でもないのに、どうして働き続ける必要があるのだろう?そう自問して欲しいだけなのだ。

悪ふざけに実害なんてないのに、ニュースに影響されやすいナイーブな人たちは「とんでもない犯罪だ」とばかりに騒ぎ立てる。慌てた企業側が、動画や写真を投稿したバイトに損害賠償を求めるなんて動きもある。そもそも、最低時給に近い安い賃金で働くアルバイト店員に「モラル」まで求めるのはおこがましいことだ。

キリスト教やイスラム教に関して言えば、協会やモスクが地域コミュニティとして機能していて、孤独の受け皿になっている場合がある。果たして、日本には、孤独な人々の「居場所」があるだろうか?オウム事件を見ていると、非モテ男の執念のようなものを感じずにはいられない。

専門学校ビジネスは歩どまりがよく、めちゃくちゃ儲かる。資格試験なんてものは、要するに金儲けをしたい連中の利権を守るための仕組みだと理解した方がいい。はっきり言って、教員免許もいらないと思う。

自分の趣味や主張を他人に押し付けるな。ビーがニズム、ベジタリアン。彼らの言動は時に宗教じみており、「肉食」に対する攻撃には眼に余るものがある。謎のマウンティングを仕掛けてくる「野菜厨」がワラワラと湧いてくる。「野菜=体に良い」「肉=体に悪い」という根拠薄弱なステレオタイプに縛られたバカに、僕の自由を侵害される筋合いはない。健康バカの主張は、科学的根拠に欠けている

大学の受験勉強なんて、ほとんどが「丸暗記した記憶を正確に再現する」という単純作業にすぎないからだ。

テレビやSNSのせいで、日本語を正確に読み取れない人間が増えているとしか思えない。ヒステリックな反応は、ほとんどが的外れだ。僕を怒らせようと、わざとやっているのならまだ救いがあるが、どうやら、本気で文章が読み取れていないらしい。

人生のパートナーをたった一人に絞る必要なんてなく、その時々、ファジーに入れ替えればいいのだ。極論を言えば、結婚は楽しい人生を邪魔する障害でしかないとすら思う。こんな大変な思いまでしてあで家庭をもちたいとは、全く思わない。どうしても子供が欲しくなったら、里親制度に登録して身寄りのない子供を引き取るという選択肢だってある。


天才は一般人とは思考が全く異なりますからね。

「天才を殺す凡人」

自分は頭がいいと勘違いしている人ほど、「皆がいいと言っているもの」にケチをつけようとするんや

確かに世の中には、売れているけど、全然あかんものも存在する。この事実は、特に秀才には信じがたい。理解できない。ストレートに言うと、アホな人たちが騙されているように見えるんや。秀才はな、こう言うのがいっちゃん嫌いや。でもな、なんども言うけどこれは違う。売れているものは、売れているというだけで、その価値を証明できているんや」皆が信じていること。それはそれだけで価値がある。

皆が良いと思うものはだいたい良いが、皆が悪いと言うこともだいたい悪い。しかし、意見がわれる所には、いわゆるビックサクセスなり、突破口というものが存在している。

反発と賛成には必ず質と量ががある。具体的には凡人による反発がわかりやすい。協調性の難しさはな、一見するとめちゃくちゃ反発しているように見えることや。なぜなら「数」で証明しようとしているからな。だども、実際は「その反発の量は」見た目より大して大きくない。なんでかというと、秀才の反発と違い、根拠が弱いからや

大きな企業が小さな企業を買収する際に、計画的に発注金額やスポンサー料を年々増やしていく。0.5億、1億、2億、4億、8億円という風に。当然、小さな企業は一時的には利益が増える。だが、これおは実は「買収のための策」であり、ある日突然「全ての取引」を止めるという連絡が来る。小さな会社は困る。というのも、その時点で大企業の売り上げがなくなると「倒産するほど」固定費が膨らんでしまうからだ。大企業はそのタイミングで「買収」の提案をする。


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哲学はそもそも学問の一部ではなかったんですね。

「考える力をつける哲学の本」
哲学とは、もともと「生き方そのもの」であり、学問の一部ではなかった。何よりも、実践していくものだった。哲学はここしばらく理論ばかりが強調しすぎて、実際的な側面をあまりに軽視しまっている。哲学とは「生きた知恵」。

「吟味のない人生は生きるに値しない」ソクラテス

「なすこと、なさざることの動機を成果に求めてはならない。」バガバァッド ギーター

「目の前にある仕事に対して、正しい理性に従って、真面目に、意欲的に、心静かに、他の事に気を取られず、清く正しい心を保ちながら、世の中に恩返しをするつもりで取り組む事。何も期待せず、ありのままの今を生きる事に満足し、いつも高潔な真実だけを語ってくらしていれば、幸福な人生を送ることができる。この幸福を邪魔立てできる人間は、どこにもいない」マルクス アウレリウス

「熱さや冷たさ、苦痛や幸福と言った外的なものは、訪れては去って行くものであり永久には続かない。勇気をもって乗り越えるがいい。」 バガバァッド ギーター

「恐れるべき者が何もない時に恐れ、恐れるべき時に恐れない者は、謝ったものの見方を信じ、不幸な道を歩む。」ブッダ

「幸福とは偶然から生まれるものではなく、考えるという徳から生まれる。というのも、考えるという行為そのものが崇高だからである。したがって、幸福は思索という形を取らなければならない。」アリストテレス

「自然は、人が幸福に生きるためには立派な装置など必要ないようにできている。人は誰でも、何がなくても幸福になることができる。外的なものはさほど重要ではない。人間にとって最上のものは、他人の力を越えたところにある。」セネカ

「家族の基礎になるのは夫婦である。家族を一つにまとめる絆は、妻の献身と忍耐にこそある。妻は一時的な気分に基づいて行動してはならない。妻は家内を治めることに気を配らなければならない。その忍耐はやがて幸福をもたらす」易経

「自律なき者に自由はない」ピタゴラス

「自由がないと思う思い込みから解き放たれることが本当の自由である」ブーバー

「万一、他人を喜ばせようとして自分自身の外に目を向けるようなことがあれば、人はその時、自分の進む道を見失う」エピクテトス

「他人の幸福のために献身すれば、真の善、生きることの真の意味がわかる」ダライ ラマ


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恵まれている環境にいる人ほど、いつも不満ばかり言っているかもしれませんね。不幸を味わうから、幸福になれる。自ら不幸になるっていうのは、スポーツに似た部分がありますねー。スポーツやってた人って、よくマゾっぽく言われますが、私生活でも将来の幸福を信じて、辛いことも耐えてる感じもあるような気もします。

「うまくいかないことが楽しい」

人生うまくいかないことが楽しい。

味覚は相対的にしかわからない。前に食べたものとの比較で美味しさがわかる。絶対的な美味しさはわからない。お金持ちが高い美味しいお寿司を食べ続けても美味しくなくなって来る。安く美味しくないものを食べるから、高くて美味しいもの味がわかる。美味しいものを食べるには、まずいものを食べる。まずいものにぶつかった場合は、味覚をリセットできるので幸福である。

雨が降ったら、傘をささないと、服は濡れ、靴なぐちょぐちょ、体の芯まで冷えて、家に帰っても湯を沸かすまで20分まつ。そのあとに、風呂に入ると体がジーンと温まり、幸福を感じる。今の平凡な毎日では幸福は味わえない。傘を持たないののは、自ら望んで不幸になるため。

戦争時には、輸送船に立ったままに1日立ちっぱなしで輸送されていた。今では、電車で座れなくても、立つのも悪くないなと思う。不幸になるものは、幸福になれる。心理は難しい。

お金持ちはいつも不機嫌。いつも美味しいものを食べているから、どこに行っても美味しいものが食べられない。高級車を乗っていて、K自動車がノロノロしてイライラする。K自動車を抜いても、またK自動車がいて、イライラする。お金持ちはお金でなんとかなると思っているから、いつもイライラしている。

人間は、うまくいかないから楽しい。
 


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